2010年08月28日

Coffee BreakD 聖書の鍵穴(創世記1章2章)



 神である主(シュ)は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。(創世記第2章7節)

 創世記の天地宇宙の創造は、人間の創造で締めくくられています。
 造ったのは、神である主です。何もなかったところから、宇宙とそこにあるもの、地上とそこにあるもの、昼と夜といったカレンダーまで、ことごとく、神が造ったと、創世記は書いています。
 聖書は、それを読む人に、最初から、神を認めなければ、ならないと気づかせるのです。Bで述べたように、神が主役であると認めることが、聖書の世界に入る扉の鍵なのです。

 このことに、気がつかない私は、扉の前で長い時間右往左往していました。扉が開いていないのに入ろうとしていたのです。そこに、鍵穴がある事も気がつかなかったのです。


 理由ははっきりしています。すべてを神が造り、神が支配し、神の摂理が世界を生成流転させているといった考え方に、それまで接したことがなかったので、思いも及ばなかったのです。
 自分は無神論者である、と、自覚があったわけでもないのです。「神様のようなものはいるかもしれないなあ」くらいの想像はするのです。でも、神様が私の生活の主役であるなど、思いも及びません。 
 
 宇宙の創生から人間の誕生まで、たった6日なんてナンセンスと、片付けるのは簡単です。ビッグバンだとか、膨張し続ける宇宙だとか、さまざまな化学物質だとか法則だとか、反論するための知的知識の道具は、星の数ほどあるのです。これらは、一見説得力がありますし、たいていの人は膨大な専門的知的知識にはついていけないから、そっちの方が「理屈に合う」ような気がします。


 天地創造の物語は、とても平易なことばで書かれています。


 神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」
 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。
 神は大空を天と名づけられた。夕べがあり、朝があった。第二日。


 子供でもわかる語彙で、子供でもわかる具体的な説明。
 でも、この単純さは、「稚拙」と読み替えてしまうことができます。3500年も昔の人間の考えたことだ。科学のカの字も知らなかった人間が考えだしたことだ。彼らに何がわかるだろう。まともな、天体望遠鏡も、電波望遠鏡もなかったろう。第一、まだ、存在もしなかった人間に、どうして宇宙の始りがわかる? 
 
 こうして、すべての創造の主人公が神であるのは、あえて見落としてしまうのです。
 
 土地のちりで作った人間の鼻から息を吹き込むと、生きたものになった・・・。
 これは、とてもこわい話です。主語が神でなければ、この文章はナンセンスではないでしょうか。神以外のだれが、ちりから形造ったものに、「いのちの息」を吹き込むことができるでしょう。

 そこで人は生きものとなった。のです。

 生きていて死んだものが、生き返ったのではなくて、ちりが生き物になったのです。



posted by さとうまさこ at 06:16| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。