2010年08月31日

Coffee BreakG エバ


 神さまがお造りになった最初の人アダムは、エデンの園の管理人でした。

 神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。(2章15節)

 アダムは、仕事をしながら、一日中、神さまとお話ししていたのではないでしょうか。
 彼の肉体は土地のちりでできたものでしたが、心には神さまが吹き込んでくださった「命の息」が満ちていました。


「神さま。おはようございます。今朝はこの赤い実を朝食にいただきます。それはそうと、昨日は初めて、ヘンな形の大きな鳥と出会いました。ぼくたちはお互いにあいさつしました」

 楽園・エデンの園では、木にはいかにもおいしそうなあらゆる実が稔り、花々が咲き、鳥が美しい姿で空を飛び、魚が水の中を泳ぎ、動物が森の中を闊歩していたり、みずみずしく繁った青い木の陰でうとうと眠っていたりしました。気候は温暖で、裸でいても何の差しさわりもない。死はなく、永遠に生きるはずであるアダムは、神さまに命じられたとおり、園の管理の仕事をまじめに行なっていたはずです。

 何の不足もなさそうな最初の人アダムを見て、神さまは言われるのです。


 人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、かれにふさわしい助け手を造ろう。(創世記2章18節)
 神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れてこられた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。(2章19節)
 人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。(20章20節)


 これはとても興味深い箇所です。
 
 神さまは、人に伴侶を選ばせるため、とても広い相手から選択させているのです。家畜、空の鳥、野のあらゆる獣です。ここは、人が動物に命名したと言う歴史的証拠として出されているのではないでしょう。

 ここに連れてきた動物は、神さまの「ことば」ではなく、土から造られています。少しでも「土のちり」で造られた人の相手としてふさわしいものをと、お考えになったのでしょうか。

 ある名前が、伴侶なのです。神さまはその名前を期待しているのです。
 

 人のあばら骨から神が造られた女に対して、人は言いました。


 「これこそ、今や、私の骨の骨、
  私の肉からの肉。
  これを女と名づけよう。
  これは男から取られたのだから」(20章23節)
 

 日本語では判りにくいのですが、ヘブル語で、男は、「イシュ」、女は「イシャ」。男は自分の呼び名に一番近い呼び名で、女を呼んだのです。
 そのはずです。二人はそっくり同じ材料から作られていました。神様の息が満ちた心も同じものでした。

 彼らは、いま私たちが作れるかもしれないクローンではありません。クローンは元の生き物にそっくりだけれど、そもそも、造られる必然性がないのです。神さまが「必要だ」と思ってくださっているでしょうか。


 神さまは、満ち足りているように見えるアダムに、何かが足りないのをご覧になったのです。平たく言えば「さびしそう」だったのでしょう。アダムの心は神さまと結び合わされていました。でも、ちりに過ぎない体をもった人は、それだけでは満ち足りなかったのです。

 神は男に女を娶わせました。


 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。(2章24節)

 これは、聖書の中の男女関係の原則です。アダムとエバには「肉としての親」はいませんでしたが。



posted by さとうまさこ at 05:38| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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