2010年09月02日

Coffee BreakI 罪のはじまり(創世記3章)


 神が命令に背いた人間を咎められたときの、人の言い訳には目を覆いたくなってしまいます。

 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取ってくれたので、それで私は食べたのです。」(3章12節)
 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたはいったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それでわたしは食べたのです。」(3章13節)

 アダムは、自分が食べた直接の責任を、なんと妻のせいにしました。そのうえ、妻を与えてくださった神のせいにもしています。
 こんな夫の言い訳を聞いた妻はどんな顔をしていただろうと思いますが、そのようなわかりきった描写をしていないのが、この場面の「すごみ」です。
 妻は、当然のように蛇のせいにします。

 二人とも、謝るということは念頭になかったのでしょうか。あまりに、良い環境におかれて、なにも思い煩う経験をしなかったし、社会的訓練の場もなかったから、違反に対して、「悪いことをした」とは思わなかったのでしょうか。

 深刻さをさとらないで、自分の責任を転嫁するのは、親や大人に甘えきっているとき、子どもが使う手です。子どもは小さな子どもでも「謝りなさい」と教えられているので、口では「ごめんなさい」と言いますが、心では得心していないなあと見える表情をします。同時に、何か言い訳を考えているのです。
 でも、それが、大人になっても同じではないでしょうか。
 より巧みになって、自分自身にさえ、卑怯だと思われないように巧妙に、自己を正当化するようになる・・・そんな気がします。

 神の命令に背いた、これだけで、とてつもない大きな「罪」である。このようなことに、人が気がつくのは、いったいいつ頃からでしょう。

 神は、刑罰を宣告し、人をエデンの園から追い出します。


 こうして、神は人を追放して、命の木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(3章24章)

 蛇はどうなったでしょう。もちろん、読んでいただいてわかるように、蛇にも刑罰が下されたのです。
 蛇は以後、地上を這い回ることになるのです。それが、蛇にとってどういうことだったか、たぶん、蛇は、内心、ほくそ笑んでいたのではないでしょうか。そして、たぶん、巧みに人といっしょに、楽園を出てきたのです。

 人間の歴史に、執念深いサタンとの同行が始まったのです。



posted by さとうまさこ at 06:13| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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