2010年09月09日

Coffee BreakP 人類最初の家庭内殺人(創世記4章)


 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。(創世記4章1節)
 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕すものとなった。(4章2節)
 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげものを持ってきたが、(4章3節)
 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持ってきた。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。(4章4節)
 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。(4章5節)


 楽園を追放されたアダムとエバですが、神を敬い、慕う気持ちはなくならなかったようです。長男を得たエバは、「私は主(神)によって一人の男子を得た」と、感謝しています。
 楽園の外の生活は厳しいものであったとしても、二人は、神が宣告した刑罰に従っていました。アダムは額に汗を流して働き、エバはお産の苦しみを経験して、それでも、生き抜いていきます。


 彼らの子どもたちは両親を見て、人は生まれたときから働いて糧を得るものと学んだのでしょう。カインは土地を耕し、アベルは羊を飼うものとなったのです。
 収穫があったときに、それを「神にささげる」と、だれが教えたのでしょう。神を礼拝しないではいられないという本能が、しぜんにそのような行動を取らせたのでしょうか。じっさい、厳しい自然環境の中で、収穫があった喜びは格別だったでしょう。

 二人は仲良く、同じ時、同じ場所で、自分の得たものを献げたのです。
 ところが、神は、アベルの捧げ物──初子の羊を──喜ばれて目に留められ、カインの、──たぶん、これも収穫物の中では一番良いものであったのでしょうが──収穫物には目を留められなかったと言うのです。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

 今風に言えば、「深く傷ついた」わけです。今風に、彼の立場を理解してあげると、「傷つくのはもっともだ」となるでしょう。
 神様に献げる行為も、その動機も褒めてもらえるようなことです。神は、肉がお好きで、植物はお好きではなかったなどと解説する向きもあるようですが、そんなことはカインにとって、「知ったこと」ではありません。彼は農耕者なのですから、農産物をささげる以外なかったのです。アベルは牧畜業なので、子羊を捧げたのです。この比べようもない二つのものの一方を、神は目を留められた、つまり、評価されたように、カインには思えたのです。
 
 この場面は、人の怒りと嫉妬について、いろいろなことを教えてくれます。
 
 先ず、審判者が自分の信頼している方である場合、その怒りは信頼に比例して強くなります。親や教師は公平に扱ってくれるものと思っているので、親や教師が不公平だと思うとき、その失望と怒りは強いのです。神は彼らにとって、親よりもっともっと高い存在でした。
 自分の行動の動機が良いと思えるとき、人はそれを無視されたり、評価されないと、怒りが湧きます。
 さらに、精一杯のことをしているのに、評価されないとがっかりします。
 比べられる相手が、自分と近い人間である場合、関係の遠い他人と比べられるより怒りも嫉妬も強くなります。
 つまらない例ですが、ミスコンに出て、ひな壇に並び、ルックスやスタイルや歩き方を露骨に採点され、たとえ入賞しなかったとしても、あまり怒りは湧かないかもしれません。それが、同じ姉妹同士、並んでいるときに比較評価されたら、頭にくるのではないでしょうか。だから、意地の悪い人間は、親友同士のつながりを切るのに、一方だけを褒めたりします。
 
 ふつうに考えれば、カインが怒る理由は揃っていたのです。
 
 ただ、これはふつうの話ではないのです。彼らがささげ物をした相手は、王でもなければ、高貴なお客様でもありません。神さまだったのです。

 ここで、「神は、目を留められた。」「目を留められなかった。」とあるので、私たちはつい、二人の若者とそれをご覧になっている神さまとを思い浮かべてしまいます。
 しかし、聖書の基本にもどれば、神とは、霊なのです。人間のような目鼻がついた方ではないのです。私たちの中に生まれながら備えられた、神と語る空間──心や魂を通して神は語りかけてくださり、見つめて下さり、必要なら励ましなぐさめてくださるのです。神が喜ばれるすがたも、私たちの心に映るのです。
 
 神がカインのささげ物に目を留めてくださらず、アベルのささげ物に目を留めてくださったと、カインはどうして思ったのでしょう。なぜ、彼の心や魂は、神が自分を無視し、弟を評価されたと、取ったのでしょう。


 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。(4章6節)
 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(4章7節)


 神は至高の方、絶対者ですから、仮に、神がカインのささげ物をお喜びにならなかったとしても、カインは怒ってはいけなかったのです。いかなる場合にも、神に従う、それが被造物としての在り方だからです。
 しかし、カインは、どうしても「自分をおさめる」ことができませんでした。
 

 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」 そして、二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。(4章8節)
 主はカインに、「あなたの弟アベルはどこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。わたしは、自分の弟の番人でしょうか。」(4章9節)


 痛ましい、何か恥ずかしいような話です。これが、人間の姿なのだと、でも、認めているような気もするのです。
 神が人と契約を結ばなければならない、戒めを与えなければならないと、お思いになったのは、この時からかもしれません。



posted by さとうまさこ at 04:00| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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