2010年09月11日

Coffee BreakR ひれ伏す心(創世記4章、ルカの福音書12章7節)


 秋口になると、シャンプーするたびに、髪の毛が大量に抜け落ちます。まめに掃除機を掛けていても、部屋の中には、髪の毛が落ちています。毎日どれほどの髪の毛が抜け落ちているにせよ、抜けるばかりでなく、きっと新しいのが生えているのです。
 いったい、その増減はどのようになっているのでしょう。日ごとに会計簿で、お金の出入りを細かくチェックする人でも、血圧や脈拍、体重などをチェックする人でも、髪の毛ばかりはチェックの対象になりません。

 聖書には、
あなた方の頭の毛さえも、みな数えられています。(新約聖書・ルカ12章7節)とあります。
 聖書の神は、「天地万物を創造された神」であると同時に、「全知全能の神」です。地球上に約69億人(2010年度・国連による推計)の人がいても、そのすべての人の、刻々と変わる髪の毛の数までご存知の方です。神を畏れるとは、このような神のご性質を思うとき、しぜんに人間の心に湧き上がってくる畏敬の念ではないでしょうか。

 弟を殺しておいて、神からその所在を尋ねられると、「知りません。わたしは、自分の弟の番人でしょうか。」と答えたカインは、あまりにもナイーブに見えます。
 神を畏れることは、知識の始めである。のだとしたら、彼はまだ、始めにも、立っていなかったのです。神が、カインの弟殺しをご存じないはずがない、と思い至らないのですから。

 神はすかさず、仰せられます。
「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」(創世記4章10節)
 そして、宣告されるのです。
「今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。(4章11節)
 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じはしない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」(4章12節)

 これを聞いたカインは、一転、弱気になって、神さまに泣きつきます。

「わたしの咎は、大きすぎて担いきれません。(4章13節)
 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔(みかお)から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで。私に出会うものはだれでも、私を殺すでしょう。」(4章14節) 


 カインは、神がすべてをお見通しであることに驚き、刑罰の重さに驚き、身も世もないほどうろたえているのです。この、幼児並みの弱気な反応に、神は言われます。

「それだから、だれでもカインを殺すものは、七倍の復讐を受ける。」 そこで主は、彼に出会うものが、だれも彼を殺すことがないように、カインに一つのしるしを下さった。(4章15節)
 

 エッと、思うところです。何の罪もない弟を問答無用で殺したカインが、命乞いをすると、神は即座に減刑された? カインは、新しい土地で生きることを許されるのです。

 たとえ、大きな過ちを犯したあとでも、罪を認め、神の前にひれ伏すなら、神は憐れんでくださる──!! 
 間違いばかりを繰り返す人間にとって、このような、神さまの愛は、なんとなぐさめでしょう。大切なのは、神さまの前に、ひれ伏す心であると、この箇所は教えてくれます。

 クリスチャンはいつも祈ります。教会で礼拝しますが、自分ひとりでも祈ります。
 あんなに熱心に、何をお祈りしているの。ノンクリスチャンの友人に聞かれたことがあります。何のお願いをしているの。
 もちろん、クリスチャンもいろいろ願いがあり、その願いを叶えてくださるようにと祈ることもあります。
 でも、まず、神様の前でひれ伏すのです。神さまを畏れ、悔い改め、神さまの大きさ、高さ、深さ、広さ、全能さ、聖さ、愛を賛美するのです。そうすることが、けっきょく、神さまの愛に触れることだと、だんだんわかってくるのです。聖書の、その初めから記されているように。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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