2010年09月13日

Coffee Break21 もう一度天地創造



 Coffee BreakCには、読者の方からのいくつかの質問をご紹介しました。

 ここで、その2番めにあったご質問、「天地はほんとうに六日間で出来たと信じている?」に対してお答えします。
 大変、重要なことがらですので、今一度、このブログのおすすめサイト・ペンテコステ宣教学・やさしい神の国講座2章から、佐々木先生の文章をお借りしたいと思います。サイトをご覧になればプロフィールがありますが、佐々木先生は、長く宣教師をされ、今は日本で教会を牧会しておられる経験豊かなベテラン牧師です。難しいことをやさしく解説するテキストをいくつも書いておられます。
 

 天地創造のでき事は、聖書の一番初めに置かれている、創世記という書物の最初の部分に、物語風に記録されています。初めてこの部分を読む現代人は、つい、自分たちの合理主義的な考え方、つまり、自分の理論を大切にするものの見方を持ち込み、理科の教科書でも読むような、自然科学的な感覚で読んで、荒唐無稽な神話だと思い違いをしてしまいます。

 それに対して、これは文字通り事実であると考えるクリスチャンたちは、これもまた、現代的な合理主義に立つ自然科学の知識を駆使して、これが単なる神話ではなく、科学的な事実であると証明しようとしています。しかしどちらも、自分たちがとんでもない誤りをおかしていることに、気づいていません。

 それは、この書物が今から3500年ほども昔、まず、その当時生きていた人々に分かり易く、書かれているという事実です。21世紀の人間が、物理学の知識、生物学の知識、天文学の知識、その他、関係するあらゆる科学的知識をもってこれを調べ、納得できるように書かれているのではありません。合理主義や自然科学が発生する、3000年以上も前に生きていた人々に、最も分かり易く、最も記憶し易く、最も要点をつかみ易く書かれているのです。ですから、そこに記されていることは、現代の科学知識から判断して、正しい記述であるかどうかと議論するのは、まったく的外れの愚かなことです。あらゆる科学的知識に満ち溢れ、その知識の上に世界を創造なさった神が、3500年前に生きていた人々に、最も理解され易く、受け入れられ易い書き方をしてくださったのです。そのことを理解して読むと、逆にこの部分が、豊富な科学的知識を背景に書かれていることに、驚かされます。自然科学とは、結局、神が天地創造のときにお定めになった、自然の法則を学び、利用するものなのです。

 創世記のこの部分で、神が人間にお伝えになろうとした基本的な事柄は、多分、以下のようにまとめられることでしょう。

 @神が天地の創造者であり、すべてのものは神によって発生し、神によって存在しているという  事実。
 A創造者である神は、またすべてのものの支配者であるという事実。
 Bすべての被造物は、神がお定めになった秩序(法則)によって正しく保たれているという事実。  
 C人間も神の被造物のひとつに過ぎず、神の絶対の権威のもとに生きるように定められているという事実。
 D人間だけが神に似せて造られ、神との特別な関係を持つように造られている事実。



 私たちは子供のころ、一度は、「どうしてお空があるの」とか、「どうしてお日さまが出来たの」「お星さまはどれくらい遠くにいるの」と、大人に訊いたことがあるのではないでしょうか。
 
 もう少し、大きくなれば、自分たちが親から生まれ、その親はおじいさん、おばあさんから生まれ、そのおじいさん、おばあさんは、ひいおじいさん、ひいおばあさんから生まれと、さかのぼり、で、結局、最初の人間はどうして生まれたんだろうと、思ったことはないでしょうか。
 私たちが鳥類なら、まだ、親たちも、答えやすかったでしょう。ニワトリはたまごから生まれるんだ。たまごはニワトリから生まれるんだ、と、例の、ニワトリ・たまごのたとえで、冗談にしてしまうこともできるからです。

 それでは、納得できなくなる頃に、学校で、「正式」な答えを用意しているのです。
 おおざっぱに「進化論」と呼ばれるものですが、それでも、高校生になると、もう、先生に食い下がる生徒がいました。
「それでは、最初の単細胞生物はどこからきたのですか」
 私たちの生物の先生は正直な方でした。
「最初の、単細胞生物がどうしてできたか、まだ、わからないんです。作ってみようという試みは、いろいろあるようだけど。まあ、原始の地球と同じ環境を作るのは、実験室では無理だから、無理だというあたりかな」


 星がまたたき始めた草原で、大家族が集まって夕食を食べています。
 麦粉だの、木の実、干し肉など、食べ物は粗末なものです。汚れた手で食べている子どもに、おじいさんが話しています。
 
 神さまはね。最初に光をお造りになった。神さまが「ひかりがあれ」と命じられると、光が現れたんだよ。神さまはひかりをご覧になって、「良し」と言われた。それから、ひかりと闇を分けられた。それで、夜と、朝が区別されるようになったんだ。一日目のことだ。

 子どもたちは目を輝かせて、おじいさんの話を聞いています。
 そんな光景が浮かぶ、創世記の天地創造物語です。


 創造が六日間で終わっているのは、実際的な意味もあったようです。
 奴隷状態が長かったイスラエル民族に、リズミカルな生活、六日間働いたら、七日目には休むよう教える必要があったのです。

 イエス様もおっしゃっています。

「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
人の子(イエス様)は安息日にも主です。」(新約聖書マルコ2章27節28節)


posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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