2010年09月20日

Coffee Break28 救い(創世記8章21節詩篇23章)



 ノアの物語は、わたしの心に、二つの相反する感情を呼び起こします。
 神さまは、悪に満ちた地上をリセットしてくださって、人を滅ぼしつくさず、わたしたちを、初めての人アダムを作ったときのように祝福してくださったのです。
 その子孫であるわたしたちは、そのとき神さまが、「二度と滅ぼすまい」と、約束してくださった人間だから、神さまは、愛をもって私たちを再生してくださったのだから、わたしたちは、それを喜び、感謝し、大いに楽天的になって、明るい希望をもって生きていける・・・。

 同時に、釈然としない思いが残るのです。



 わたしは決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることははじめから悪であるからだ。わたしは決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすようなことはすまい。(創世記8章21節)


 神さまはわたしたちを「完全だ」「もう大丈夫」と思って、二度と滅ぼさないと憐れみをかけてくださったのではありません。「人の心の思い計ることははじめから悪である」と知りながら、約束してくださったのです。
 事実、ノアの息子もたちまち、罪を犯してしまうのです。
 ノアの話の次には、有名なバベルの塔建設の話が出てきます。
 天にも届く塔を立てて、自分たちの名を残そうと言い始める人間。
 そのため、主は人間の言葉を混乱させるという非常手段を取って、塔の建設を断念させられました。
 
 それから、どれくらいの歳月が経ったのか・・・。
 人は、あまりの地上の混乱と苦しみに、自家中毒を起こしたような状態に陥りました。悪に満ちた人間世界で、人自身が、「神さま、何とかしてください」と、祈らないではおれない状態になりました。




    主はわたしの羊飼い。
    わたしは、乏しいことがありません。
 
    主は私を緑の牧場に伏させ、
    いこいの水のほとりに伴われます。
 
    主は私のたましいを生き返らせ、
    御名のために、私を義の道に導かれます。
 
    たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
    私はわざわいを恐れません。
    あなたが私とともにおられますから。
    あなたのむちとあなたの杖、
    それが私の慰めです。

    私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
    私の頭に油を注いでくださいます。
    私の杯は、あふれています。

    まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
    恵みとが、私を追ってくるでしょう。
    私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
                  (旧約聖書・詩篇23章1〜6節)
 




 ほとんど、伝承の雲にさえぎられているようなノアの時代。そこからはるか下った紀元前1千年頃、出来上がったばかりのイスラエル王国の二代目の王ダビデは、このような祈りと賛美の詩を書いています。

 人間の世界は、神が知っておられるとおり悪と苦しみに満ちていました。
 そして、神ご自身がお選びになった王でさえ、苦難の中にいたのです。
 この詩は、以後、いまも、たくさんの人の祈りの言葉となり、たくさんの人の心の叫びとなっています。

 このような、人の真摯で切実な祈りを聞かれるとき、愛の神さまは思ってくださるのではないでしょうか。
 もう、「箱舟方式」では、人は救えない。つぎの「救いの時」には、すべての人を救いに入れよう。
 

 いま、現在、私たちに、ほんとうの希望があるとするなら、その「新しい救い」が訪れているからなのですが。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。