2010年09月21日

Coffee Break29 ぶどう



 箱舟から出てきたノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。(創世記9章18節)
 この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。(19節)

 

 箱舟から出たノアに与えられた契約はすばらしいものでした。
 この時点で、神さまはエデンの園の門を開けて、もう一度人間を園に戻してくださるようなことはありませんでした。しかし、毛ごろもを着せられただけのすがたで荒地に出てきたアダムと、箱舟から出てきたノアの状況は違っていました。
  
 神さまに造られた最初の人間アダムが、ある意味ナイーブな子どもの心をもったままであったのに比べ、ノアは、たしかに救っていただいたと言う自覚があったのでしょう。ノアは、すでに神を畏れ敬うことを知っていました。祭壇を築いていけにえの動物をささげたのです。
 そのようなノアを、神さまは祝福されました。

 
 それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。
「生めよふえよ。地に満ちよ。」(9章1節)

 生きて動いているものはみな、あなた方の食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。(3節)



 これはなんというお恵みでしょう。神はアダムにも、「園のどの木から取って食べても良い」(創世記2章16節)と言われましたが、ここで、肉食が許可されたのです。
 もちろん、「肉は、そのいのちである血のままで食べてはならない」(4節)という戒めがついていましたが。

 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。(9章20節)


 ノアには、すでに、農業の経験もあったのでしょう。その経験とぶどうの栽培が結びついたのです。

 ぶどうは祝福された農産物です。聖書の中には、「ぶどう」が何度出てくるか数え切れないほどですが、ぶどう、ぶどう酒、ぶどうの木、ぶどう園、干しぶどうなどの言葉をひっくるめて、ぶどうが聖書に出てくる植物のトップです。


 このサイトに発表している私の小説、「聖書物語・つむじ風の谷」でも、ダビデに贈り物を届けるナバルの妻アビガイルが選んだ食料の中に、干しぶどう百ふさ、ぶどう酒を入れた皮袋2袋が出てきます。(Tサムエル記・25章18節より取材)

 イエスさまがカナの婚礼で、水をぶどう酒に変えられた奇蹟。(ヨハネ2章1〜12節)
 また、ぶどう園に雇われる労働者のたとえ話。(マタイ20章13〜16節)
 ぶどう酒と皮袋の関係。(マルコ2章22節)(ルカ5章37〜39節)
 神さまがぶどうの木で、人はぶどうの枝だと言うたとえ。(ヨハネ15章1〜27節)

 まだまだありますが、

 なにより、大切なのは、「最後の晩餐」で、イエスご自身がパンをそのお体。ぶどう酒をイエスの血と宣言なさって、弟子たちに分け与えたことです。(マタイ26章26〜29節、ルカ22章31〜34節、54〜62節)


 この晩餐が、今日も教会で、聖餐式としてパンとぶどう液をいただく理由です。もちろん、ほとんどの教会はぶどう酒ではなく、ぶどう液です。
 

 ぶどうの栽培を始めたノアは、ぶどう酒も作り始めました。この箇所には書かれていませんが、たぶん、干しぶどうも、ぶどう菓子も作ったことでしょう。

 肉とぶどう酒、この現代の、レストランでも最高とされている組み合わせが生まれたのです。

 なんというぜいたく、なんという悦びの晩餐だったでしょう。それがほとんど、人間の歴史とともに始まっていたのです。

 けれども、ぜいたくや悦びに、すぐ気が緩むのが人間です。ノアほどの正しい人でもぶどう酒で失敗をするのです。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。