2010年09月22日

Coffee Break30 ゴシップ好き



 ノアがぶどうの栽培を始めて以来、何千年が経ったのでしょう。

 ちなみに、ノアが箱舟に入った年は、「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日」となっています。
 
 いずれにしても、昨日ご紹介したように、聖書とぶどうはとても関係が深いのです。


 ある日、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。(21節)
 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいる二人の兄弟に告げた。(22節)
 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いていって、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。(23節)
 ノアが酔いから醒め、末の息子が自分にしたことを知って、(24節)
 言った。
「のろわれよ。カナン。
 兄弟たちのしもべとなれ。」(25節)

 
 外では、役職や地位があるりっぱなお父さんでも、家ではくつろいでソファでうたた寝したり、テレビを見ながらこっくりこっくり居眠りを始めることもあるでしょう。髪が乱れ、眼鏡がずれ、衣服は乱れて、外では見せない姿を見せてしまう。つい飲みすぎて帰宅して、玄関を上がるなり倒れて、奥さんの手に合わないので、ネクタイだけ外してあげて毛布を掛けてあげたなんて話も、ときどき聞きます。
 どんなりっぱな人でも、いつもいつも自分を繕っていることなど、たしかに不可能です。

 この時、ノアはわざわざ「裸になっていた」と聖書に記されるくらいですから、見苦しい格好だった? 全裸だったのかもしれません。
 たまたま父親の天幕に入っていったハムは、酔って裸で寝ている父の姿を見てしまいました。
 

 父親としてあまりにだらしのない格好なので、つい、ハムはそれをほかの兄弟に知らせに行ったのです。それが、父親を怒らせたばかりでなく、息子をのろうほど怒らせたのです。神さまもノアの怒りをお認めになったのでしょう。ですから、ハムの子どもカナンは「兄弟のしもべとなれ」と言われ、そうなったのです。


 聖書を最初の一行から、ここまで読んできた私たちは、人間が、その創造の最初から、ほんとうに「どうしようもない」性質をもっていたのだと気づかされます。


 まず、神さまの命令に背きました。
 悪魔の誘惑に負けました。
 神さまと対等になろうとしました。
 咎められると、ほかのもののせいにして謝りませんでした。(アダムとエバ)

 神さまに対して膨れ面をしました。
 罪のない弟に嫉妬して殺しました。
 ここでも、すぐに罪を認めないで、しらばっくれました。(カイン)



 ノアの息子ハムは父親のはだかを見て、兄弟たちに告げ口しました。
 これは、「親を敬いなさい」という律法(当時は、まだ、十戒や律法は与えられていませんでしたが)に反することです。その上、人の醜態をほかのものに告げ口して笑いものにしたのです。

 ノアの着物を、自分たちの背中に掛けて後ろ向きに近づいて、父親の裸を覆ったセムとヤペテに、私たちは教えられます。人のミスや罪を知ったら、覆ってあげなければいけない・・・。

 自分はそのようにできているだろうかと思うとき、私も、うなだれてしまいますが。




 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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