2010年09月23日

Coffee Break31 希望



      草原(くさはら)に そこだけ炎える 彼岸花


 早いもので、もう秋分の日です。日本の暦では彼岸の中日です。
 たしかに、日が落ちるのが急に早くなりました。蝉の声が途絶えがちになり、夜は、虫がにぎやかにすだいています。

 道を歩いていて、ふと振り返ると、まだ青々と残る草の中に、両手で包めるほどの真っ赤な彼岸花が見えました。この句も三年前のものですが、夏から秋の区切りに、この花を見ると、暑さになかば熔けていた心がハッと引き締まり、訪れる秋の気配に胸が騒ぎます。


 
 なぜ着物のことで心配するのですか。野の百合がどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。(新約聖書・マタイ6章28節)

 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾っていませんでした。(29節)

 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(30節)



 イエス様が有名な山上の説教で語られた言葉(みことば)です。

 ソロモンはダビデ王のあとを継いだイスラエル全盛時代の王で、その富と栄華は今に至るまで、世界中に伝説を残しています。遠く離れた日本でも、四国のどこかにソロモンの財宝が隠されていると、言い伝えられているほどです。


 野の百合の美しさが、栄華のかぎりを尽くした王の華麗な装いをはるかにしのいでいると言うのです。
 地上の富や栄華をもってしても、神さまのワザには遠く及ばないとイエス様はおっしゃるのです。

 彼岸花は、なぜか縁起の悪い花だとされています。でも、見れば見るほど、不思議な美しさです。人には思いもつかない造形です。しかも、大切に扱われてもいないのに、毎年同じ時期に伸びてきて、花を咲かせます。


 この言葉(みことば)は、初めて聖書に接した頃、そして、いまも、私の希望です。


 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。