2010年09月24日

Coffee Break32 バベルの塔



 バベルの塔の話は、ノアの洪水の話と同様、とてもよく知られています。
 一度も聖書を読んだことがなくても、一度はこの話を聞いた人は多いのではないでしょうか。子どもの絵本などにも描かれ、もとより、ヨーロッパでは絵画にもたくさん描かれています。宗教画のモチーフのひとつだったのでしょう。

 バベルの塔の話は、膨大な聖書の中でも、以下の部分だけです。



 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。(創世記11章1節)
 その頃、人々は東の方から移動してきて、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。(2節)
 彼らは互いに言った。「さあ、レンガを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。(3節)
 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(4節)
 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りてこられた。(5節)
 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。(6節)
 さあ、降りていって、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」(7節)
 こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。(8節)
 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(9節)
 

 (注)、瀝青はアスファルトのことです。中東ですから、昔からアスファルトがふんだんにあったのでしょう。バベルはもともとはバビロン語で「神の門」の意味でしたが、バベルの塔のときの混乱のあと、「混乱」という意味にもとられています。 
 

 聖書を読んでいくと、しばしば、人間の常識と反対のことが語られているのに出会います。
 一致団結して、天まで届く高い塔を作るのがなぜ悪いのか、すぐにはわかりません。人が一致団結して大きな仕事を成し遂げるのは、人間の常識では良いことです。というより、大きな仕事はひとりでは出来ません。一人で出来ない仕事は一致団結が大切です。天まで届く・・・、そんなことはもちろん不可能だと、わかっていますが、しかし、自分たちの限界に挑戦することも、一般には良いことだと見なされています。

 だから、こんなに文明が発達したのではないか。
 こんなに便利なのではないか。
 こんなに豊かに暮らせるのではないか。
 寿命が延びたのではないか。


 そのとおりです。でも、ふと、思うのです。この時、神さまは、人のことばを混乱させたり、全地に人を散らしたりする代わりに、もう一度、洪水を起こすこともおできになった。もちろん、その場合は、もう、ノアのような人を選び出さず、だれもお救いにならずに、そうされるのです。つまり、人類をはやばや滅亡させることもおできになった! 
もちろん、神さまは、「二度と肉なるものは、大洪水で断ち切られることはない。もはや大洪水が地を滅ぼすことはない(9章11節)」と言明されたかぎり、ご自分のことばを翻すような方ではないのを、承知で考えてみたのです。


 私たちが忘れてならないことは、人間に対し、今でも、キャスティングボートは、神さまが握っておられる!と、言うことではないでしょうか。


posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。