2010年09月27日

Coffee Break35 召命のとき(創世記12章1節〜8節)



 主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。(創世記12章1節)



 壮大な天地創造の物語から、人間が増え広がって地を満たすまで、どれくらいの歳月が流れていたのか定かではありませんが、ここまで、神が直接声をお掛けになった人間はそれほど多くありません。
 アダムとエバ、カイン、それとノアだけです。神と彼らの関係は、はっきりと神が創造者で主役、人間が被造物で神の創造の対象だとわかる書き方です。

 個人の名前は出てきませんが、バベルの塔も、神が人間の作る塔をご覧になって、それを見咎め、人の言葉を混乱させ、人を散り散りに散らして、人間の思い上がった建設工事を中止させられたものです。

 しかし、12章で、神はこれまでと違ったアプローチで人に接して来られました。一人の人に声をお掛けになりましたが、これが、何故なのかわからないのです。読者もわからないのですが、アブラムにはわかったでしょうか。

 アブラムが生活に行き詰まっていたから、他の場所に移してくださるというのではありません。行き先もカナンの方面であって、カナンかどうかわかりません。
 この場面は、アブラハムの神さまからの「召命」と呼ばれていますが、それは、後代の読者である私たちが言うのであって、アブラムはどう思っていたでしょう。ノアが箱舟に入るときのような、はっきりした救いのための避難命令でもなかったのです。

 
 こうして、12章からは、アブラハム(アブラム)の話が展開していくのです。聖書記者の視点が、個人の歴史に移っていくのです。ただ、歴史人物伝ではないのです。
 

 カナンにやってきたアブラムの前には、すでに、先住者カナン人が立ちはだかっていました。
 アブラムはきっと当惑したに違いありません。すでに、水や草、放牧の羊たち、天幕を張る場所について、先住民との間に争いがあったかもしれません。しかし、聖書はどのような問題があったのか、また、アブラムが問題をどう解決したかに、触れていません。

 どんな問題があったにせよ、解決したのです。それは、神が現れてくださったからです。



 アブラムはその地を通っていき、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。(12章6節)
 その頃、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。(7節)



 神はすでに先住者がいる地を見ているアブラムに「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられたのです。
 アブラムには、それで、充分だったのです。「あなたの子孫に」というのですから、アブラムに与えられたのではありません。でも、神さまが現れてくださった、それが、アブラムにとっては何より大きなことでした。だから、彼は、その場所に、祭壇を築いたのです。

 そして、そこから、ペテルの東にある山の方に移動して、とりあえず、天幕を張りました。そこでまた、彼は、祭壇を築いて、主(神)のお名前によって祈ったのです。

 神さまに祈る、神さまとの語り合い、お交わり、それが、アブラムにとっては何よりの確証だったのです。

 祭壇を築けば、すぐに、問題が解決したという話ではありません。
 それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。(9節)のですから。
 
 天地創造の神を崇める対価に、目に見えるご利益を当てにする、そのような思い込みがあると、この話はなかなか飲み込めません。

 キリスト教は最高のご利益宗教です。でも、そのご利益はこの世の報酬に限定されない、永遠のいのちに関わる報酬なのですから。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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