2010年10月12日

Coffee Break50 対面



 イサクとリベカの結婚は、今の時代から見ると夢のような物語です。
 まだ、会ったことも見たこともない二人の男女を結び付けようと、たくさんの宝物をもって、はるばる旅する話は、ずいぶん不確かな行動です。花嫁候補ははるか遠いところにいる親類の娘、その娘との縁談をまとめてくるようにと主人に命じられるしもべは、もちろん、それが先方の都合でまとまらない場合は、その任を解かれるとの約束ですが、大任にプレッシャーは感じていたでしょう。
 主人とその息子のために、最高の花嫁を連れて帰りたいと願い、祈りながら旅を続けたのです。
 リベカという名の娘はいたけれど、親が遠くに嫁にやるのに反対だとか、器量がひどく悪いとか、すでに婚約者がいるなんてことがありませんように・・・、仲人をするものは、縁談がまとまればいいのではなく、最高の縁談をまとめたいのです。

 たとえば、コンピュータで、希望にかなった、相性の合う相手を見つけるといった現代風お見合い機関に頼る人でも、最終的な目的は、ただ相手を見つけることではなく、「最良の相手」であることでしょう。

 リベカは、「とても美しく」「機転が利き」「背景になる家族は、アブラハムの親類(テラの一族)で信用が置ける」のですから、今で言えば、容姿、性格、家系のよい信用の出来る娘と言うことになります。
 一方、リベカ側から見ると、やはり、イサクは、親類で、大金持ちで、父親に縁談を委ねるようなまじめな──当時はとくに、親の権威を尊ぶのはとても大切なモラルでした──むこです。


 話は、たちまち、まとまったのですが、リベカの両親と兄は出発まで十日ほど、リベカを手元に置いておきたいと言い出しました。一度別れたら、二度と会えるかわからない距離です。無理もありません。
 一方しもべは、この慶事を一日でも早く主人に報告したいと、気がはやります。
 そこで、一晩歓待を受けると、翌朝、そのことをリベカの両親に告げました。


 しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところに行けるように私を帰らせてください」と言った。(創世記24章56節)
 彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」(57節)
 それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねた。すると、彼女は、「はい。参ります」と答えた。(58節)
 


 この時、リベカの父親たちが確認したのは、「別れる前に、しばらく親や兄と名残の時間を持つか、それとも、今すぐ出発してもよいか」だったでしょう。

 リベカは、「はい、参ります」と即答しました。この箇所は、クリスチャンには高く評価されています。リベカが親兄弟への心残りと言った個人的な情より、新しい運命を受け容れ、それをすぐに行動に移そうとしたからです。この新しい運命は、「神がお決めになったもの」との前提です。
 リベカは神の意思を悟り、それに従おうとしたのです。

 
 そんなわけで、リベカは乳母と召使を連れ、らくだを仕立て、実家をあとにして、アブラハムのしもべと、ベエル・シェバに向かいます。
 見送るリベカの家族は、祝福します。



   「われらの妹よ。
   あなたは幾千万にもふえるように。
   そして、あなたの子孫は
   敵の門を勝ち取るように。」(60節)



☆ ☆ ☆


 こうして、リベカはアブラハムのしもべといっしょに、ベエル・シェバにやってきました。イサクは、当時、ベエル・シェバの南の方、ネゲブのベエル・ラハイ・ロイで自分の羊を飼っていましたが、そのとき、父親のもとに戻っていました。

 夕方、野に散歩に出かけたイサクがふと目を上げ、見ると、らくだが近づいてくるのが見えました。
 そのとき、リベカの目にもイサクの姿が映ったのです。


 リベカはすぐ、らくだから降り、しもべに尋ねた。
「野を歩いてこちらのほうに、私たちを迎えに来るあの人は誰ですか。」 しもべは答えた。
「あの方が私の主人です。」
 そこでリベカはベールを取って身をおおった。(65節)


 ここも、とても想像力をかき立てる美しい場面ではないでしょうか。
 夕暮れ時です。長い旅を終えたしもべとリベカの一行が、残照の残る野原に姿を現したのです。父から、結婚相手がまもなく戻ってくるはずだと聞かされていたイサクは、待ちきれなくて野原を見に行っていたのかもしれません。 

 一方、はるばると砂漠や荒野を越えて、まだ見ぬ人と暮らすために見知らぬ土地にやってきた若い娘──今と違って、十代半ばが結婚適齢期だった時代です──、リベカも、野原に男の姿を見て、それが結婚相手のイサクだと知り、息を飲むほど緊張したでしょう。。
 イサクを見て、ベールで顔も体もおおうその仕草から、彼女の恥じらいと期待と決意が見て取れます。


 しもべは自分がしてきたことを残らずイサクに告げた。(66節)
 イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは母のなきあと、慰めを得た。(67節)


 リベカとイサクの対面、イサクがリベカを母サラのテントにいざなう様子までが、この聖書箇所で浮かび上がってきて、これ以上、解説の入る余地がありません。どこかおとぎ話の中の王子様とお姫様のラブストーリーのエンデングのようでいて、じっさいに、深い安堵と祝福の気持ちを覚えるのは、私だけでしょうか。

 もっとも、この清純なリベカが、じっさいに結婚生活を始め母となったとき、思いがけないどろどろした一面を見せるのですが。




 
 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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