2010年10月14日

Coffee Break52 長子の権利



 アブラハムの一生は百七十五年であった。(創世記25章7節)
 アブラハムは平安な老後を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。(八節)
 彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクベラのほら穴に葬った。このほら穴は、マムレに面するヘテ人ツォハルの子エフロンの畑地の中にあった。(9節)
 この畑地はアブラハムがヘテ人たちから買ったもので、そこにアブラハムとサラが葬られたのである。(10節)
 アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。(11節)


 アブラハムは長寿を全うして、(たぶん老衰で)息を引き取りました。日本の一昔前の言葉を借りるなら、「大往生」を果たしたのです。それから、先に妻サラが葬られた墓に入りました。長生きして夫婦が同じ墓に入るのが幸せな夫婦の理想であるのは、どの国、どの時代にあっても同じようです。

 イサクはアブラハムの百歳のときの子どもですから、父親が亡くなったとき、すでに七十五歳だったことになります。
 イサク六十歳でもうけた双子の息子、エサウとヤコブは、十五歳でした。もう充分に、アブラハムの家が、「神の選びの民の一族」であることは理解できる年でした。


 しかし、エサウはそれをあまり気にかけていませんでした。一方、ヤコブは、兄の「長子の権利」が欲しくて欲しくてたまりません。
 それは、ふたりの資質の違い、仕事の違い、それに、彼らの両親の子どもたちへの接し方の違いからきたものでした。




 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。(27章)
 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。(28章)


 天幕で母の仕事の手伝いをすることが多かったヤコブを、母リベカは可愛がりました。ヤコブのほうも、兄が父のお気に入りなので、母親に依存するようになったのでしょうか。
 「長子の権利」(家の伝統や家長としての采配もふくめて、家督を相続する権利)は、長男が引き継ぐものとの考え方からすれば、それはエサウのものでした。けれども、リベカは、自分が愛する「可愛いヤコブ」に継がせたいと思っていたのでしょう。すると、母のその気持ちは、当然、ヤコブに伝わります。

 そのチャンスが来たとき、ヤコブは抜け目なく、兄からその権利を買取ったのです。



 さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。(29節)
 エサウはヤコブに言った。「どうかその赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。(30節)
 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい」と言った。(31節)
 エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と言った。(32節)
 それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼は長子の権利をヤコブに売った。(33節)



 ヤコブは、こうして兄の弱さにつけ込んで、兄から長子の権利を手に入れました。

 これは、ヤコブが、神に対して罪を犯したことになるのでしょうか。

 相手の弱みに付け込んで、強引に自分に有利な取引をする、それは──人間の社会ではよくあることですが──あまりフェアだとは思われません。
 でも、神様の見方は少し違うようです。



 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。(34節)


 長子の権利など、だれが引き継いでも同じ、とはならないのです。
34節の言葉(みことば)から、私たちは、神様から与えられたものを重く見ないことこそ、罪なのだと、改めて教えられるのです。





posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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