2010年10月15日

Coffee Break53 リベカのたくらみ




 アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住み着いた。(創世記25章11節)



 イサクの生涯は、おおむね平穏でした。リベカが不妊の妻だったので、子どもの誕生を祈願し、二十年間待つことになりましたが、六十歳でふたごの兄弟エサウとヤコブを与えられました。リベカはまだ、妊娠の可能性がある年齢でした。父アブラハムが百歳、母サラが九十才で子供が授かったのに比べれば、忍耐の質も長さもけた違いです。

 しかし、イサクの生涯の大きな「かげ」は、このふたり息子の確執にあったと言っても過言ではありません。
 リベカのお腹にいるときから、ふたりはぶつかり合っていたと、聖書は記しています。
 リベカはそれを心配し、神にみこころを求めに行きました。


 すると、主が仰せられた。
  「二つの国があなたの胎内にあり、
   二つの国民があなたから分かれ出る。
   一つの国民は他の国民より強く、
   兄が弟に仕える。」       (23節)
 出産の時が満ちると、見よ。ふたごが胎内にいた。(24節)
 最初に出てきた子は赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。(25節)
 そのあとで弟が出てきたが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで、その子をヤコブと名づけた。(26節)



 二卵性双生児でしょうか。まるで外見の違うこのふたりは、長ずるにつれ水と油のようにますます性質が違ってきて、対立していきました。

 前回述べたように、それには、イサクとリベカの息子たちに対する態度も影響しています。イサクは猟師になったエサウを愛し、リベカは天幕で、いつも母のそばにいるヤコブをかわいがりました。
 

 さて、兄エサウの弱みに付け込んで、長子の権利を売らせたヤコブでしたが、長子の権利は、ふたりの間のただ一回の口約束で決まるほど、軽いものではありませんでした。

 
 イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、長男のエサウを呼び寄せて彼に「息子よ」と言った。すると、彼は、「はい。ここにいます」と答えた。(27章1節)
 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。(2節)
 だから今、お前の道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。(3節)
 そして、私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、お前を祝福できるために。」(4節)




 長子の権利を現実のものとするためには、父親から、直接、確約の祝福をしてもらわなければなりません。

 イサクはとうぜんそれを長男のエサウに与えるつもりで、彼を呼んだのです。
 ところが、これを聞いていたリベカがヤコブをそそのかしました。


 ヤコブを呼ぶと、「群れ(飼育している羊ややぎの群れ)のところに行き、最上の子山羊二頭を採って来なさい。それで、私が父上のお好きなおいしい料理を作りましょう。」(9節)

 それを、ヤコブが父のところに運んで、食べてもらい、同時に死ぬ前に祝福をしてもらいなさい。と言うわけです。

 母のこのたくらみに、いくら父の祝福が欲しいヤコブでもためらいました。

「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。(11節)
 もしや、父上が私にさわるなら、私にからかわれたと思われるでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」(12節)


 リベカは答えます。

「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ、私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」(13節)
 それでヤコブは行って、取って、母のところに来た。母は父の好むおいしい料理をこしらえた。(14節)
 それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった兄エサウの晴れ着を取って来て、それを弟ヤコブに着せてやり、(15節)
 また、子やぎの毛皮を、彼の手と首のなめらかなところにかぶせてやった。(16節)
 そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。(17節)




 ヤコブは、母の差し金どおり、エサウのふりをして父親の枕元に行くのです。
 リベカは、自分が愛している弟息子になんとしてもアブラハム・イサクの家を継がせたいと思っていました。先にヤコブは、口約束ですが、兄から長子の権利を買取っていました。ですから、残りの半分の手続きである「父親からの祝福」も、取りさえすれば、ヤコブは跡継ぎになるのです。
 けれども、これをヤコブに与えるのは、当たり前の方法では無理でした。イサクはエサウに祝福を与えるつもりだからです。

 父の権威を恐れて弱気のヤコブに対し、リベカは夫をだますたくらみを編み出し、息子の尻を叩きます。獣の料理と見まがうようなおいしい肉料理を作り、エサウの臭いのついた晴れ着をヤコブに着せ、その上、肌の滑らかなヤコブを偽るために子やぎの毛皮で手や首を覆ってやるのです。
 「さあ、何が何でも祝福をいただいてくるのよ。のろいがあるなら、私が受けるから」と、言うわけです。

 それにしても、なんと言う母親なのでしょう。エサウもまた、自分の子どもなのです。
 そのような母親の言いなりに行動するヤコブに、正義は、あるのでしょうか。
 
 ヤコブは、とにかく、成功するのです。
 こうして、四千年の後までも、ヤコブはマザコンだと言われることになるのですが。






posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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