2010年10月18日

Coffee Break56 ベテル




 ヤコブは父から祝福を受け、母に見送られて家を出発しました。行き先は母の実家、伯父ラバンのいるハランです。ちなみに、父イサクは、この旅を、ヤコブが伯父の娘たちと結婚するためだと思っているのです。
 これは、昔、祖父アブラハムのしもべが、イサクの妻、ヤコブの母になるリベカを迎えに行くため通ったコースだと思われます。ただ、旅の内容はまるで違うものだったでしょう。しもべは、アブラハムからたくさんのらくだ、使用人、それに貴重な品々を託されていました。必要を賄う金や銀も充分持っていたでしょう。砂漠や荒野の旅は、困難が多いとはいえ、お金と人手が十分にあれば、買える物もあります。先触れに召使を走らせて土地の有力者や、天幕を持って放牧をしている族長にあいさつできれば、宿泊や安全で、便宜を計ってもらえたでしょう。

 ヤコブの旅は違います。彼は兄から逃げなければなりませんでした。大勢で堂々とキャラバンを組んで行ける旅ではなかったのです。うっかり、知り合いの所に立ち寄ったりしたら、エサウの手がまわっているかもしれません。
 彼は独力で、荒野から荒野を歩くような旅をしたことでしょう。うしろ暗いことをすれば、堂々と振舞えないのはとうぜんです。

 兄エサウは野生の動物を追い回して仕留める猟師でした。たくましいアスリートだったのです。一方、ヤコブは、天幕にいて母の手伝いをしていました。きびしい荒野の旅に耐えるだけの体力はあったのでしょうか。強い日差しや喉の渇きや、野獣の危険を思う度に、心細く思われ、父をだまし、兄から祝福を奪ったことを後悔したかもしれません。


 あるところに着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はそのところの石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。(創世記28章11節)
 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ。神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(12節)
 

 そこで、主(神)が彼の枕元に顕現されました。主は、彼を祝福して仰せられたのです。 

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。(13節)
 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。(14節)
 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしはあなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(15節)
 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。(16節)
 彼はおそれおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ、神の家にほかならない。ここは天の門だ。」(17節)



 ヤコブは夢を見たのです。神が夢の中に現れてくださったのです。この体験は、アブラハムがしばしば、直接、神の声を聞き、また神にお答えした状況とは違います。
 しかし、心細い旅の道中、ときに後悔のほぞをかむような野宿のときに、神が現れてくださったことに、ヤコブは力づけられました。
 ヤコブの肉体は、兄と比べて華奢だったかもしれませんが、精神はなかなかしたたかな強い人でした。母の愛を独り占めして、その上、長子の権利も手に入れて、結局、兄から逃げ出すことになって、そのような中でも、自分の益になるものは見逃さない人です。
 
 夢を「なあんだ。夢か」と馬鹿にしないで、たとえ、夢の中でも、「天のはしごを見た」「神様が現れてくださった」「祝福の言葉をいただいた」「ここは神の家だ。自分は神の家に寝ていたのだ」 そう思い、励まされ、力を得る人でした。

 翌朝、ヤコブは自分が枕にしていた石を、寝ていた場所に立てました。神の家の目印です。その石に油(オリーブ油)を注いで(油は、当時、旅の必需品でした)、その場所の名をベテル(神様の家)と名づけました。
 それから、彼は祈って誓います。



「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、(20節)
 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、(21節)
 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」(22節)
 


 ヤコブのこの祈りが条件つきになっているのを、あまり評価しないという意見を聞いたことがあります。そうかもしれません。しかし、聖書に見るかぎり、ここはヤコブが神に礼拝をする初めての箇所です。(じっさいには、彼は子どものときから、アブラハム・イサクの神への礼拝を、家族とともに行なっていたでしょう)

 アブラハムの家に生まれても、ヤコブは心の欲求の命じるまま、母といっしょになって父をだまし、兄の貰うものを奪うような人間でした。その彼に、夢の中とは言え、神が現れてくださったのです。その夢のできごとを、ヤコブは現実の礼拝に変え、誓願を立てました。一見、神の御心とは程遠いように見えるヤコブですが、神が、どれほど大きな方か、畏れ敬うべき方か、自分たち人間の運命の全権を握っておられる方か、と言うことを知っていたのです。そして、一夜の体験を、自分の人生の、エポックメイキングと感じることのできるその力を、神は評価されたのです。
のちに、ヤコブはイスラエルと言う名前を、神様から頂くことになるのですから。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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