2010年10月30日

Coffee Break68 夢見るものがやってくる




    空腹か 胸いっぱいか こころもち 熱いコーヒー 冷たい朝に

 とうとうストーブをつけることになりました。毎朝、「まず、一杯」のコーヒーも、手の中でコーヒーカップを包んで、その温かさを慕うこのごろです。


☆☆☆☆

 創世記は遠い遠い昔の物語です。舞台は中東です。気候風土も、言葉も文化も仕事も食べ物も、社会の仕組みも、今の私たちとはまるで違う世界です。
 でも、ほとんど変わらないものがあります。それは、人間の心です。肌の色や目の色、髪の色が違っても、食べるものが違っても、嬉しさや悲しみを感じる心、愛したり憎んだりする心、嫉妬や怒り、たくらみや悪意は共通するものです。人間が気まぐれで公平さを欠き、余計な問題を招くのも同じです。

 若いころ、マザコンだったヤコブは、母親の差し金で、兄や父を騙すような人間でした。苦労を重ね、悲しい思い、悔しい思い、危ない思いをさんざん経験し、だんだん思慮のある族長になって行きました。それでもなぜか、自分の子どものなかで、十一番目の息子ヨセフを特別扱いしていました。ヨセフには長袖の服(晴れ着の意味がある)を作ってやり、ヨセフはそれをふだん着にしていました。自分だけ特別扱いしてもらえる時に、子どもがいい気になっても仕方がないでしょう。
 
 ある日、ヨセフは兄たちに言いました。
「どうか私が見たこの夢を聞いてください。  (創世記37章6節)
 見ると、私たちは畑で束を束ねていました。すると、突然、私の束が立ち上がり、しかも、まっすぐに立っているのです。見ると、あなた方の束が回りに来て、私の束にお辞儀をしました。」(7節)
 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでもいうのか。」(8節)


 ふだんから、ヨセフのことを良く思っていない兄たちは、この夢の話を、聞いて怒りました。
 ヨセフは、兄の顔色を見ることもしません。別の時に、また、夢の話をします。

「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」(9節)

 この時は、さすがにそこにいた父ヤコブは、ヨセフを叱りました。
「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私やおまえの母上、兄さんたちがおまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」(10節)


 ヤコブはこのとき、息子たちの険悪な状態を十分見て取ったようです。しかし、それでも、ヤコブの気持ちの中には、ヨセフが夢のようになるかもしれないという期待がありました。
 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。(11節)のです。

 ある時、ヨセフは、父に命じられて、羊を飼っている兄たちのいる野へ行きました。
 遠くから弟がやってくるのを見た兄たちは言いました。

「見ろ。あの夢見るものがやってくる。」(19節)

 彼らは、額を寄せ合い、弟を殺す相談を始めました。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。