2010年10月31日

Coffee Break69 売られたヨセフ




 聖書の中で、夢はとても大きな意味があります。夢は、神がご自分を現される一つの方法だったからです。
 ヤコブに初めて神が顕現されたのは、夢の中でした。ベテルと彼が名前をつけた場所での夜のことです。(創世記28章12節〜15節)
 アブラハムの夢にも、神は現れてくださいました。(創世記15章12節〜21節)
 新約聖書で一番有名なのは、イエスを懐妊したマリアに悩む、マリアの婚約者ヨセフ(ヤコブの息子ヨセフと同名)に、み使いが現れる場面です。(新約聖書マタイ1章20節21節) 

 ヨセフは父に可愛がられ、ちやほやされ、特別な服を着せてもらっていい気になっていたようです。そのお返しに、父に兄たちの悪口を告げたりしていました。また、そのようなヨセフをヤコブは重宝していたのかもしれません。ほかの兄弟からすると、親と共依存関係にあるような「イヤなやつ」です。その「イヤなやつ」が、当時は、今よりずっと重みのある夢の話で、「兄たちが自分にお辞儀をする」と言ったのです。彼らの反撥はかなりのものだったでしょう。


 だんだん、ヤコブの身の上に寄り添う気分になっている私など、どうして、ヤコブほどの苦労人がヨセフだけ甘やかしてほかの兄弟から憎まれるようなことをしたのかしら、とか、ヨセフもだめねえ。甘やかされてももっと賢くふるまわなければと、言いたくなるのです。
 じっさい、兄たちに嫉妬されていても、彼が自分の見た夢を心に収めておけば、まだ、それほど憎まれなかったかもしれません。 

 憎いヨセフが野原を近づいてくるのを見た兄たちは、彼を殺そうと相談しました。
 その中で、長兄のルベンはさすがに分別を見せ、「血を流してはならない。彼をこの穴に投げ込みなさい」と言って、ヨセフを枯れ井戸に入れさせるのです。ちょっと懲らしめに見えるこの提案で、ルベンはあとでヨセフを助けてやろうと思っていたのですが、ルベンがいない間に、ほかの兄弟がヨセフを砂漠を行く隊商に売ってしまうのです。隊商はらくだに樹膠(樹脂)と乳香(香料)と没薬(生薬・薬草類)を積んでエジプトに向かっていました。けれども、この時代の砂漠の商人は、「商売ができれば」、途中で、何でも仕入れたのでしょうか。
 ヨセフは、彼らによってエジプトに連れて行かれ、パロの廷臣。侍従長のポティファルに売られてしまうのです。

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 ヨセフの兄弟たちは、ヨセフの着物に動物の血をつけ、父ヤコブに見せます。ヤコブはヨセフが野獣に食い殺されたと思ってしまいます。

 ヤコブは、粗布を腰にまとい、いく日もの間、その子のために泣き悲しんだ。(37章34節)
 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言った。(35節)


 ヤコブはこうしてまた一つ、悲しみを積むことになるのですが、ヨセフ物語全体をみると、ヨセフのこの未熟さ、ヤコブの父親としての不完全さも、神のご計画のうちと言えそうです。
 もし、ヤコブの家がホームドラマのような家庭だったらどうでしょう。ヨセフはエジプトに売られることもなく、飢饉の時に、エジプトに穀物を買いに行ったヤコブ一家がヨセフと再会することもなく、したがって、一族がエジプトに移り住むこともなかったのです。すると、その後の聖書の物語──出エジプトは、ありえないものとなってしまうのです。
 まことに、神様は不完全な人間を不完全であることをも益として、用いてくださると思わせられます。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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