2010年11月10日

Coffee Break79 骨肉




 またしても、盗みの疑いを掛けられて戻ってきた兄弟たちに、その仕掛け人ヨセフは言います。

「あなたがたのしたこのしわざは、何だ。私のような者はまじないをするということを知らなかったのか。」(創世記44章15節)

 ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また、なんと言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯をもっているのを見つかったものも、あなたさまの奴隷となりましょう。」(16節)

 しかし、ヨセフは言った。「そんなことはとんでもないことだ。杯をもっているのを見つかった者だけが、私の奴隷となればよい。ほかのあなたがたは安心して父のもとへ帰るがよい。」(17節)



 ここで、私たちに、やっとヨセフの真意がわかります。

 ヨセフは、前回、兄弟たちと出会ったときから、肉親の情をかき立てられているのですが、父とベニヤミン以外には、屈折した思いがあるのです。自分が「若くて、思い上がっていた」とはいえ、兄たちに売られたのです。売られるまでのいきさつはわかりますが、売られる場面は、聖書にも詳しい描写はされていません。「銀二十枚で売った」と書かれているだけです。(創世記37章28節) けれども、ヨセフを縛り上げて、砂漠の商人に売りつけるときには、なんらかの暴力もあったことでしょう。売られて見知らぬ土地に運ばれながら、ヨセフは、どれほど悔し涙を流し、歯軋りしたことでしょう。
 そのつらい思い出が、なつかしさを屈折させたのです。


 ヨセフは、同じ母ラケルから生まれたベニヤミンをエジプトに留め置いて、ほかの兄弟は国へ帰らせるつもりだったのです。
 しかし、そこで、兄ユダが「自分が弟の身代わりになる。ベニヤミンを帰らせてくれ」と、その理由をとうとうと語り出します。
 ベニヤミンが父の年寄り子で、とくに親密で離れがたい。同じように可愛がっていたもう一人の弟は死んでしまったので、この弟もいなくなることは、老いた父親の寿命を縮めることになりますというものでした。
「今回、穀物を買いに来る時も、父はベニヤミンを連れて行くなといったのですが、あなたさまが、連れてこなければ会って下さらないと思って、無理に父を説得してきたのです。
 父は言いました。
 『あなたがたがこの子をも私から取ってしまって、この子にわざわいが起こるなら、あなたがたはしらが頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになるのだ。』(29節)

 わたしはこの子を連れて帰ると父に保証をしてきたのですから、この子を連れ帰らないわけにはいきません。どうか、この子を兄弟たちと帰らせ、代わりに私を奴隷にしてください。
 わたしは父が苦しんで死んでいくのを、見たくありません」

 ユダの、父ヤコブを思う心情、ベニヤミンと父ヤコブとの絆の深さ。それは、彼らの家族と関係のないものから見ても、美しく深いものです。まして、ヨセフは自分がそのベニヤミンの位置にいたのです。そして、今、父がそれほどベニヤミンに執着するのも、すでにヨセフを失くしたからだと、わかるのです。こうした骨肉の情がヨセフをゆさぶりました。ヨセフもまた、彼らの骨肉だからです。

 ヨセフは耐えられなくなって、まわりにいる従者やしもべに、出て行くよう命じます。
 人払いをした後、彼はついに、声をあげて泣き、兄弟たちに打ち明けるのです。
「わたしは、ヨセフです!」
 兄弟たちは、驚きのあまり、ことばもなく呆然と突っ立っていました。





         
 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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