2010年11月12日

Coffee Break81 夢のような話




 聖書には、これまで読んできただけでも、劇的な場面がたくさんあります。
 アブラハムがイサクを献げる場面。イサクとリベカの対面。ヤコブが兄の祝福を奪う場面。ヤコブのベテルの夜。ヤコブが神様と一晩中戦うヤボクの渡し。
 そして、この創世記45章
 ヨセフが兄弟たちに自分の素性を明かし、彼らへのゆるしを表明し、和解の中で、彼らをエジプトに招く場面です。

 今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。(創世記45章8節)

 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。(9節)

 あなたはゴシェンに住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。(10節)

 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。(12節)


 こうしてヨセフは、たくさんのみやげの品と共に、父ヤコブのために兄弟たちをいったんカナンに送り出すのです。

 ☆☆☆☆


 エジプトへ下った息子たちを待つヤコブは、どんなに不安だったことでしょう。どれほど思い沈んでいたでしょう。ヤコブは、息子たち全員をエジプトに行かせてしまって、孤独でした。彼はカナンでは、豊かな遊牧民の族長でしたが、すでに年老いて自分では遊牧もできませんでした。愛する妻ラケルは、末っ子ベニヤミンを産むときに死んでしまいました。
 のちに、エジプトに一家で旅立つ人員の中に、息子の嫁や娘、孫娘がいたと書かれているのに、レアと二人の側女のことは出ていませんから、このときも、妻たちはいなかったのでしょう。

 最愛のベニヤミンも、今回は連れて行かれてしまったのです。
 息子たちが、無事戻ってくるか、いつ戻ってくるかと、待っているうちに、ヤコブは一種のうつ状態になっていたのかもしれません。

 息子たちがカナンに戻り、父に「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」と言われても、ヤコブはぼんやりしていて、喜ぶ様子もなかったのです。
 息子たちは父に、ヨセフが、一家を挙げてエジプトへ来るようにと言ったことを詳しく話して聞かせました。ヨセフが、父を乗せるために贈ってくれたという車を見せられて、ヤコブは初めて元気づいたのです。

 イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」(45章28節) 


 息子たちが全員無事に戻ってきただけではありません。死んだと思っていたヨセフが生きていて、エジプトの最高権力者になっている。ヤコブは一家で、エジプトに招かれ、よい地を与えられて安楽に暮らせると言うのです。夢のような話です。

 失意と苦労がついてまわったヤコブの人生で、これほどまでに喜ばしい日はあったでしょうか。
 その上、彼が旅立とうとする時、神が顕現されて祝福してくださるのです。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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