2010年11月13日

Coffee Break82 長い鍛錬



 
 エジプトに旅立つに当って、ヤコブを祝福された神、アブラハム・イサク・ヤコブの神は、このとき、きっとホッとされたことでしょう。イサクまで引き継いできた信仰を、ヤコブとその子孫が引き継ぐはずでした。しかし、ヤコブの人生には、あまりにも多くの曲折がありました。
 彼の人生の出発点において、母リベカと父イサクの息子への気持ちが異なっていたので、ヤコブの心も、兄弟関係も捻じ曲がってしまいました。父を騙して兄が受けるはずの祝福を奪い取ったあと、ヤコブの人生は掛け違ったボタンのように、問題がついてまわりました。


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 聖書には、神に用いられた人物だけでなく、神に背いた人物の名前も残っています。どちらにしても、みんな、大変な人生を生きた人ばかりです。
 「選びの民の」始祖たち、アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフの人生がよい例です。神は全人類を祝福に入れるための選びの民を作ろうとされて、無名のアブラハムを召し出されるのですが、数多くの神の顕現と祝福にもかかわらず、アブラハムは「忍耐して待ち続け」、「神によって試みられ」、「神への従順」を生きました。
 最後には豊かな族長として天寿を全うした人生でしたが、たとえば、イシュマエルを追放したこと、サラが没後に娶ったケトラと側女の間の子どもも財産を分けてイサクから遠ざけたことなど、神に従うために、あえて、一人の子供しかそばに置きませんでした。(創世記25章1〜6章) これは大家族イコール幸せという当時の習慣や人間の性質に反するものでした。神が「サラが産む子どもとの間に、契約を立てる」とおっしゃった言葉に従ったのです。(創世記17章19節)

 イサクは、父の遺産を受け継ぎ、信仰を受け継ぎ、穏やかな人生かと思えば、やはり苦労と曲折がありました。とくに、美しい妻リベカとの間の齟齬は、どうしたことでしょう。イサクはエサウを可愛がり、祝福も長子の権利も彼のものと思っていました。ところが、リベカはヤコブを愛し、そそのかして、エサウからそれを奪う手伝いをするのです。
 この家庭の中の不協和音から、ヤコブの苦難の人生が始まりました。ヤコブは兄を騙し、恨みを買って逃亡します。彼は頼って行った先で、今度は伯父ラバンに騙されるのです。伯父は肉親ではありましたが、策謀家でした。ヤコブが望まない娘を妻として押し付け、そのため、ヤコブは愛しているラケル以外に、妻と妾を三人ももち、望まぬ「女の闘い」に巻き込まれました。伯父が冷静にヤコブを利用するので、ヤコブも負けずに策略を巡らして対抗しました。そこには、愛や許しが入る余地はありませんでした。

 のちに、独立した族長になったあとも、ヤコブの家族はヤコブの心の屈折や複雑な親子関係を、そのまま反映していました。長男のルベンが父の側女と寝たり、ユダが嫁に子どもを孕ませたり、父の意思に反して二人の息子が、居住地にしていた場所のシェケムの住人を虐殺して、ヤコブを窮地に追い詰めました。

 ヤコブもいつまでも、ラケルへの思いを引きずっていたのでしょうか。ラケルが産んだヨセフを特別に可愛がり、その結果ヨセフは危うく兄たちに殺されそうになり、代わりに砂漠を行く隊商に売られてしまったのです。

 この三代記は、人間の物語としては、どちらかといえば「暗い話」です。この話が、それでも深く私たちの心に刻まれるのは、ここには、天地万物を創造された神様が働かれていて、神の救いの計画に用いる民族を作ろうと、恵みと祝福・愛で、彼ら不完全な人間を導いておられるとわかるからです。

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 ヨセフがいなくなった(息子たちに、獣に殺されたと偽られて)あと、ヤコブについての記述は、わずかです。
 ヤコブは着物を引き裂き、粗布を腰に巻いて、幾日もヨセフのために泣き暮らしたのでした。息子、娘たちがかわるがわるやってきて、彼を慰めましたがなんの効果もありません。「慰められるより泣きながら、ヨセフのいるよみに下って行きたい」と言い続けました。(創世記37章34節35節)
 彼が、行き詰まり、悲しみ、迷う時に必ず顕現されたアブラハム・イサク・ヤコブの神は、どうされたのでしょう。
 
 その時、神はすでに、エジプトに奴隷として売られたヨセフと共におられたのです。
 無慈悲なように見えますが、座して歎いているヤコブをそのまま、神は次のご計画に着手されていたのです。

 いよいよ、ヤコブが一族全員とエジプトに下るときに、神はすばらしい祝福をヤコブにお与えになるのです。

 
 神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ。ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい、ここにいます。」(創世記46章2節)
 すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。(3節)
 わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」(4節)


 長い長い鍛錬の時間でした。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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