2010年11月15日

Coffee Break84 拝謁(創世記47章)




 エジプトに移住してきたイスラエル(ヤコブ)とヨセフの兄弟たちは、いよいよパロ(エジプトの王)に拝謁することになります。
 
 ヨセフはパロのところに行き、告げて言った。「私の父と兄弟たちと、羊の群れ、牛の群れ、そして彼らのものすべてがカナンの地からまいりました。そして今ゴシェンの地におります。」(創世記47章1節)

 ヨセフは兄弟の中から五人を連れて、パロに引き合わせました。五人が誰と誰であったのかは聖書に記述がありません。ともかく、パロは喜んで謁見したのです。
 兄弟たちは、ヨセフに言い含められていたように、彼らが先祖代々、羊を飼うものであることを強調しました。その上で、飢饉がひどくて、カナンには牧草がないのでゴシェンに住まわせてくださいと頼みます。
 パロはヨセフに言います。

 「エジプトの地はあなたの前にある。もっともよい地にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。彼らはゴシェンの地に住むようにしなさい。もし、彼らの中に力のある者を知っていたら、その者を私の家畜の係長としなさい。」(創世記47章6節)

 その後、ヨセフは父ヤコブをパロに拝謁させました。父と兄弟が別々の機会にパロに会ったと言うのは、エジプト側のもてなしが、親と兄弟では違っていたのでしょう。
 パロは、とくに宰相の父、自分が全権を委ねているヨセフの父に敬意ある応対をしました。

 パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、いくつになりますか。」(47章8節)
 ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢(よわい)の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月に及びません。」(9節)


 現代の日本では、高齢者の方に年令を訊ねるのが、はばかられる雰囲気があります。しかし、昔は、高齢長寿は誇るべきことだったのではないでしょうか。
 何しろ、日本でも江戸時代半ばまで、平均寿命が二十歳未満でした。乳幼児・子どもの死亡率はとても高いものでした。ききん、天災に加え、抗生物質のような効果的な薬がない時代には、伝染病で一度に村一つなくなることも珍しくなかったのです。
 長寿は、生まれつきの健康な体質に加えて、病気や災害をくぐり抜けるだけの幸運にも恵まれることで、まさに、神様からの賜りものでした。
 中国では七十歳を古稀(こき)と呼んだのです。七十才まで生きる人はまれ(稀)だったからです。七十歳は敬意と驚きをもって讃えられたのでしょう。その言葉はそのまま、日本に入って使われていたのです。ただし、いまは、七十五才で後期高齢者というわけですから、だれも七十歳に驚く人はいません。長生きとさえ思われません。

 創世記の時代は、暦が今と同じでなく戸籍制度などもありませんから、年令や年月の数え方には諸説があるようです。さらに、今のような数字を表記する文字がなく、そのため、聖書のこの時代(3500年前頃)の年令を解読するのはかなり困難なのです。
 アブラハム百七十五年、イサク百八十年と言うのは、そのまま今のその年齢と同じとはいえないのですが、相当高齢ではあったのでしょう。目がうとくなる、耳が遠くなる。歯がなくなる、深いしわが刻まれる、腰が曲がるなど老化が表面に現れ、記憶力が衰え、しかも、同じ時代の人がどんどん先になくなると、たしかな年令はわからなくなってしまいます。


 高齢は尊敬されるべきことなので、パロはヤコブの年令を訊ねました。答えるヤコブの方は、そのまま「百三十年です」とそっけなく答えると、誇っているように聞こえたのかもしれません。相手はパロですから謙遜の姿勢を見せて、「私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月に及びません。」と言ったのでしょう。

 ヤコブはエジプトで十七年生きたので、亡くなったとき百四十七歳でした。父イサク、祖父アブラハムの寿命には及ばなかったとはいえ、彼の晩年は平安で幸せなものでした。

 ヤコブは自分の死に臨んで、すべてをヨセフに託すのです。その葬儀は、ヤコブにとっても思いもよらなかったほど盛大で、行き届いたものでした。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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