2010年11月17日

Coffee Break86 最後の祝福




 イスラエル(ヤコブ)が死に臨んで、自分の埋葬や葬儀を頼んだ息子はヨセフでした。彼らが寄留しているエジプトで、ヨセフが最高権力者なのですから、それもしぜんかもしれません。

 ヤコブは、死期を悟った時、ヨセフを呼び寄せて言いました。

「もしあなたの心にかなうなら、どうかあなたの手をわたしのももの下に入れ、私に愛と真実を尽くしてくれ。どうか私をエジプトの地に葬らないでくれ。(創世記47章29節)
 私が先祖たちとともに眠りについたなら、私をエジプトから選び出して、先祖たちの墓に葬ってくれ。」
 すると、ヨセフは言った。「私はきっと、あなたの言われたとおりにいたします。」(30節)
 それでイスラエルは言った。「私に誓ってくれ。」そこでヨセフは彼に誓った。イスラエルは床に寝たまま、おじぎをした。(31節)



 アブラハムとイサクは、同じ場所・マムレの畑地にあるマクペラのほら穴に葬られました。そこは、最初アブラハムがサラを葬るために、ヘテ人(ヒッタイト人)エフロンから、銀四百シェケルで買った土地でした。(創世記23章4節〜20節)
 また、そこには、ヤコブの母リベカも葬られ、妻レアも葬られていました。(49章31節)──ヤコブ最愛の妻ラケルは、彼らが、ベテルからエフラテまで旅する途上、ベニヤミンを産むとき、難産のために死に、その場所で葬られました。(35章19節)

 ヤコブが恐れたのは、エジプトに葬られることでした。カナンは、神がアブラハム・イサク・ヤコブに約束された土地でしたから、そこに戻るのが、彼の悲願でした。



 いよいよヤコブの死が迫った時、ヨセフは二人の息子を連れて、もう一度、父の枕辺を訪ねます。
 ヤコブはヨセフの息子、マナセとエフライムについて、まず、自分の子どもとすることを告げ、祝福をします。ヨセフは、長男マナセをヤコブの右手の前に、次男エフライムを左手の前に進ませるのですが、ヤコブはわざわざ手を交差して、エフライムを右手で、マナセに左手を置いて、祝福します。
 右手は、より高い地位にあるもののために使われる手なので、ヨセフは父の手を取ってその間違いを正そうとするのですが、ヤコブは「わかっている」と答えるのです。

「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなるものとなるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。」(48章19節)

 ヤコブのことばは、後にその通りになるのですが、まだ、何百年も先のことが、どうしてヤコブにわかるのでしょう。彼は、その時までヨセフの二人の息子と会っていませんし、目が見えなくなっていたので、見掛けで判断したのでもありません。ですから、これは、神のご指示だったのでしょう。

 マナセとエフライムはこの時、もう成人だったでしょうから(イスラエルがエジプトに移住してから十七年経っていました。彼らはその前に生まれているのです)、祖父のこのやり方に、心穏やかではなかったかもしれません。しかし、聖書の中では、人間の個人的な思いは二の次である、このような場面はめずらしくありません。ヤコブ自身が兄の祝福を奪ったのですが、あとから振り返れば、すでに母の胎内にいたときに、兄が弟に仕える(25章23節)という主のことばがあり、その通りになったのです。


☆☆☆☆

 最後に、イスラエルは自分の息子たちを呼び、一人一人を祝福します。
 彼の死は、聖書のスペースだけでも、アブラハムやイサクの死に比べて、はるかに大きく取り上げられています。じつに、47章28節から、48章49章がイスラエルの死に関する記事です。
 子孫に対する祝福や遺言を言い終えて、ヤコブは死にました。

 ヤコブは子らに命じ終わると、足を床の中に入れ、息絶えて自分の民に加えられた。(49章33節)

 じつに、大往生でした。今の時代の人も憧れる死に方ではないでしょうか。
 




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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