2010年11月18日

Coffee Break87 約束の地




 ヤコブの最後が「大往生だった」ということについて、少し説明が必要かと思われます。
 「往生」は、本来仏教用語です。
 広辞苑によると、「@この世を去って他の世界へ生まれ変わること、とくに極楽浄土へ生まれること。A死ぬこと、あきらめること。Bどうにもしようのない状態になること。閉口。」とあります。
 私の感覚では、往生は、いま、「死ぬ」の意味に使われることが一般的かと思います。私の祖父や祖母が亡くなったときは、「大往生されましたな」と、慰めてくださる方が多かったのです。災難にも遭わず、ひどく苦しまず、長生きして亡くなった人への褒めことばでしょうか。
 時代劇などで、悪人などが追い詰められながら、悪あがきして最後まで徹底抗戦する時、「往生際が悪い」などと言うのは、Aの意味ですね。
 また、大変な目にあうことを、私の出身地関西では、「おうじょうした」と言っていましたから、Bの意味です。


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 ヤコブはもちろん仏教徒ではありません。お釈迦様が生まれる千年も前に、インドからはるか、はなれた中東で生まれた人です。彼の大往生に「極楽浄土」は関係がないのですが、それでも、イメージとしては似ているのです。──極楽浄土が仏教本来の思想なのかどうかは、ここでは問題にしないことにします。

 ヤコブは、自分の一族の将来とともに、死後の世界を見ているのです。ヤコブが死後カナンのマクペラのほら穴に葬って欲しいと願う理由は、祖父アブラハム、祖母サラ、父イサクと母リベカ、妻のレアがそこに葬られているから、だけではありません。


 エフライムとマナセを祝福したあと、ヤコブは言いました。

「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。」(創世記48章21節)


 ヨセフやその子ども、ヤコブのすべての子孫もやがては、そこに帰ってくると言うのです。これは、一度、死で、へだてられた彼らが、やがてカナンで相まみえ、永遠にいっしょに生きることができるという望みを表しているのではないでしょうか。
 
 カナンは、イスラエルにとって神の約束の地なのです。そこで、アブラハム・イサク・ヤコブの子孫は、地のちりのように、空の星のように増え広がるだけでなく、彼らを通じて 全人類が神の祝福に入ることになる(創世記12章2節3節、13章16節、15章5節6節、17章4節、22章17節18節、26章4節、35章11節12節)場所なのです。
  
 ヤコブがこの時、カナンに、いま私たちクリスチャンが期待しているような「永遠のみ国」のまぼろしを見ていたかどうかはわかりません。けれども、彼はそこが、神様がともにおられて、祝福してくださる場所であるのはわかっていたでしょう。
 
 残念ながら、イスラエルの子どもや孫たちは、すぐにエジプトからカナンに帰ることはできませんでした。 

 彼らが神の選びの民であるのは、栄誉であるとともに、厳しい試練に逢うことだったからです。
 ヤコブの子孫たちが、ふたたびカナンに戻ってくる前に、イスラエルの民にはたくさんの苦役が待っていました。





 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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