2010年11月25日

Coffee Break94 血と身分




 モーセは、聖書の中でも、人気がある預言者の一人です。
 (ちなみに、旧約聖書の中でもっとも偉大な人物を五人挙げるとしたら、アブラハム、モーセ、サムエル、ダビデ、イザヤと、言われています。)
 エジプトから自分の民を連れ出した英雄・指導者として、モーセの名前は、いまでも人類史に輝いています。

 この出エジプト記が、映画「十戒」になったこと、出エジプトのできごと自体が、新約旧約聖書を通じて、大きな出来事であることも事実です。

 民族を丸ごと、住み慣れた土地から連れ出すという大事業のリーダーだったモーセですが、一人の人間として彼を見ても、大変な魅力があります。

 彼のドラマは、その生い立ちから、波乱と危機に満ちています。
 すでに見たように、王の命令で殺される赤ん坊だったのが命拾いし、あろうことか、王女に拾われて、その子どもとして育てられる幸運を、手にしたのです。

 そのまま、一生高い身分でよい暮らしができたかもしれないのに、自分の出自の血、ヘブル人であることを忘れませんでした。
 二つの立場、卑しい奴隷の血統と、王家の身分のはざまで、彼の人生は思いがけない方向に向かうのです。
 


 こうして日がたち、モーセが大人になったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。(出エジプト記2章11節)
 あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。(12節)
 次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪い方に「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。(13節)
 すると、その男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこで、モーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。(14節)
 


 王女の息子として成長したモーセが、エジプトを脱出しなければならなくなった直接の事件です。

 たぶん、エジプト人がヘブル人の奴隷を打つのは、当たり前のことだったのでしょう。モーセがほんとうのエジプト人なら、奴隷を打っている男を咎めたりしないわけです。そのモーセの葛藤に、私たちは共感するのです。


 私たちも、たいてい二つ三つと、互いに自分の内部でぶつかり合うような立場をもっています。
 愛があっても、愛があるからこそ、別の人を打たなければいけないこともあります。たとえば、役所や企業で内部告発する人などは、そのような葛藤を生きたのではないでしょうか。その結果、立場を失う人も珍しくないでしょう。

 この物語が、神様の救いの計画の一環であり、モーセの血と立場の葛藤も、神様が大きく彼を用いられるためだったとわかっていても、すべてを捨てて荒野へ逃げるモーセに寄り添い、思わず同行してしまいます。







  
 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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