2010年11月26日

Coffee Break95 モーセの結婚(出エジプト記2章21節)




 自分がエジプトの王女の息子ではなく、ヘブル人の赤ん坊だったのを拾われたのだと、モーセが知ったのはいつでしょう。乳離れするまで実の母のところで養われたとありますが、母乳を必要とするのは、どんなに長くても二〜三歳までです。ふつう三歳までの記憶は残らないと言われています。いくつかの場面を覚えていても、意識してその意味付けをするようになるまで、記憶として組み立てられないからだそうです。とはいえ、友人に、二歳の時のことを覚えていると言う人がいますから、個人差があるのでしょう。
 それでも、大人になったモーセは、自分がヘブル人であることを知っていました。いま、私たち日本人が、たとえば白人と顔を比べたら明らかに違うように、外見がエジプト人と違っていたのでしょうか。

 ヨセフが、ヤコブや自分の兄弟たちをエジプトに呼び寄せる時、「羊を飼うものをエジプト人は忌み嫌うから、あえて羊を飼うものと明かすように」(創世記46章34節)と、言っています。遊牧民である彼らは,最初からエジプト人とはなれてゴシュンの地に住み、その結果、エジプト人と結婚したりする者も、ほとんどいなかったのでしょうか。(もちろん、ヨセフはエジプトの祭司の娘と結婚していたので、その子マナセとエフライムには、二つの民族の血が流れていたのです。創世記41章51節52節

 
 時代が下って、ヨセフのことを知らない王が治める時代になり、苛酷な労役がヘブル人に課され、さらに、人口が増えるのを恐れて男の子を殺せとのお触れが出るくらいですから、彼らは、エジプト人とほとんど融和せず、その言語や生活習慣、拝む神も、隔絶していたのでしょう。


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 モーセがヘブル人を打っていたエジプト人を殺し、その殺人を別のヘブル人から脅迫されたとき、どうして、王の前に申し開きをしなかったのでしょう。彼は王女の息子なのですから、自分を強く弁護して、ヘブル人奴隷の申し立てなど、ひっくり返せなかったのでしょうか。
 それとも、モーセは自分がヘブル人のために良いと思ってしたことが、同じヘブル人から脅迫のタネになったことに、嫌気が差したのでしょうか。

 のちにモーセは、神から召命を受けた時、「私は口下手です」と辞退しています。(出エジプト記4章10節) これは、もともとの彼の性質ではなく、このとき、同胞に裏切られ、口をつぐんで国をあとにした時のショックが尾を引いていたのかもしれないと、(私見ですが)思うのです。

 王子であったモーセは、きっと多くの外国語や弁論などの教育を受けていたでしょう。
 私たちも、とても活発だった人が、なにかの挫折によって人が変わったように無口になったり、引っ込み思案になったりするのを、目にすることがあります。


 荒野に逃げていたモーセは、ある日、ミディアンの地の井戸のそばにいました。すると、羊飼いの娘たちが七人やってきて、羊に水を飲ませ始めました。すぐに、男の羊飼いたちがやってきて、女ばかりのこの群れを、追い払おうとしました。
 モーセはこれを見て立ち上がり、荒くれの羊飼いたちをやっつけたのです。


 娘たちは家に彼を連れ帰り、父親であるミディアンの祭司に紹介しました。モーセは恩人として温かくもてなされ、その家に滞在して羊飼いの仕事を手伝うことになりました。祭司は、長女のチッポラをモーセに娶らせました。彼女は息子を産み、モーセは彼の名前をゲルショム(私は外国にいる寄留者だ)と名づけました。
 この名前から推測するのに、モーセは妻と子どもをもち、落ち着いた生活をしながらも、同胞・ヘブル人から切り離されているような寂しさがあったのでしょう。(出エジプト記2章15節〜22節)
 
 エジプトの王子になりきれなかった彼は、ミディアンの祭司の娘婿にもなりきれませんでした。それは、彼が意識しているというより、天から与えられた宿命でした。

 彼には、神が定めた使命があったのです。
 モーセが羊を追って、神の山ホレブにやってきたときのことです。

 すると主の使いが、彼に現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。(出エジプト記3章2節)
 
 この場面はとても印象的です。モーセはこの日をさかいに、一介の羊飼いから、すべてのヘブル人を、エジプトから、約束の地カナンに向けて連れ出す指導者として歩み出すのです。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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