2010年12月06日

Coffee Break105 いなごの災害





 川や池、家の飲み水までが血に変わり、かえる、ぶよ、あぶが大発生、疫病、腫物、雹がおそって、エジプト中を震撼させました。しかし、パロはその時は驚くのですが、災害がおさまると、またかたくなになって、イスラエル人を出国させようとはしません。

 それで、主はまたモーセに仰せになります。
「パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行うためであり、(出エジプト記10章1節)
 わたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることをあなたがたが知るためである。」(2節)
 


 モーセとアロンをパロのもとに行かせるときの、主なる神のことばが、少しずつ変わっていくのに注意したいと思います。
 雹を降らせる前、主はパロに、わたしは、私の力をあなたに示すためにあなたを立てておく。また、わたしの名を全地に知らせるためであると、パロ自身を直撃しない理由を述べます。

 ところが、八番目の災害を送るときには、モーセに、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主であることをあなたがたが知るためである。(2節)と、その理由が、イスラエル人に対するものとなっています。
 
 これは、相対するものを対称させて強調するレトリックでしょう。主がここで、「わたしがそのつもりになれば、パロに手を伸ばして、エジプトとパロを地から消し去ることは、容易である」と、仰せになっているのです。

 じっさい、この後、いなごの災害、暗やみの災害、それに初子(ういご)を打つ災害と、続くのですが、パロを完全に打ちのめしたのは、十番目の「初子の災害」で、パロの王子が死んだ時でした。
 ですから、主は最初にこれを持ってこられ、一度の災害で、イスラエル人を去らせることもできたかもしれないのです。そうしなかったのは、主の存在を認めないパロに、真の神の力を見せること、同時に、自分の民であるイスラエル人に、主のしてくださったことを語り継がせるためでした。


 モーセとアロンはパロのところに行って、彼に言った。「ヘブル人の神、主はこう仰せられます。『いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。(10章3節)
 もし、あなたが、わたしの民を行かせることを拒むなら、見よ、わたしはあす、いなごをあなたの領土に送る。(4節)
 いなごが地の面をおおい、地は見えなくなる。また、雹の害を免れて、あなたがたに残されているものを食いつくし、野に生えているあなたがたの木をみな食い尽くす。(5節)



 これには、パロの家臣たちが震え上がりました。パロに、ヘブル人奴隷を行かせるよう進言するのです。
 パロは、譲歩するかに見えました。しかし、またもや、かたくなになりました。
 
 



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。