2010年12月11日

Coffee Break110  初子(ういご)




 主はモーセに告げて仰せられた。(出エジプト記13章1節)
「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである。」(2節)



 十の災害の最後に、主(神)がエジプトの初子を打たれたことは、いくらなんでもひどいと思われた人もいるでしょうか。
 神が人間や動物の、初子を犠牲として要求するとは・・・。イスラエル人だけを救うために、エジプト人を殺してよいの、じっさいそのような質問を、初めて聖書を読む方から受けたのです。
 
 ここで見るように、神はイスラエル人を、全人類を救いに入れる神の器として育成しておられたので、イスラエル人だけが特別な扱いを受けているように見える、記述や出来事は多いのです。
 けれども、では、イスラエル人だけが、ぬくぬくと温室で栄養と快適な環境を与えられて、「パラダイスにいるような」生活をしていたかというと、まったく違います。
 神の選びの民として、イスラエルに与えられた使命は高邁で、その民としてふさわしい掟を定めた契約は、大変厳格なものでした。
 
 ちなみに、有名な十戒はつぎのような書き出しです。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
 あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 あなたは、自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎むものには、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
 わたしを愛し、わたしの命令を守るものには、恵みを千代にまで施すからである。
                  (出エジプト記20章2節〜6節)


 この後、いわゆる十戒と言われている戒めが17節まで続きます。

 主はイスラエルをエジプトの奴隷生活から導き出してくださった恩人(神)です。その主はシナイ山で、イスラエルの民と契約を結んでくださるのです。そして、イスラエル人が主を愛し、命令を守っていれば、恵みを千代にまで施そうとおっしゃるのです。
 しかし、イスラエルの民は、しばしば神の命令にそむきました。ほかの神(他の民族の神や偶像)に心を移したために、神の怒りに触れて、敵に攻められ、国を失い、捕囚になるなど、悲惨な体験を何度も、余儀なくされていくのです。

 初子について言うなら、エジプトの初子もイスラエルの初子も、等しく神のものなのです。
 天地創造のいきさつを思い出していただければわかるように、人間の命も、家畜も農産物ももともとはすべて、神がくださったものです。ですから、その初物は、神のものとしてお返ししようという考え方なのです。

 アダムとエバの最初の息子たち、カインとアベルが、それぞれ収穫物の初物と、羊の初子をささげたのは、そのような意味でした。
 ですから、いよいよエジプトを出るときに、冒頭の聖書箇所のように、主(神)は、イスラエル人にも初子をささげるように仰せになったのです。
 同じ13章で、モーセは民に言っています。

 主が、あなたとあなたの先祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナンの地に導き、そこをあなたに賜るとき、(13章11節)
 すべて最初に生まれる者を、主のものとしてささげなさい。あなたの家畜から生まれる初子もみな、雄は主のものである。(12節)


 もちろん、人の子どもを聖別するというのは、代わりの羊や雄牛で贖うと言う意味です。

 これは、後々まで、イスラエル人の掟として守られました。



 新約聖書のルカの福音書の中で、赤ん坊のイエス様を、ヨセフとマリアが神殿に連れて行って主にささげたと書かれています。

 ──それは、主の律法に、「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった──(ルカ・2章23節)
 また、主の律法に、「山鳩一つがい、または家鳩のひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。(24節)


 イエスさまの両親ヨセフとマリヤは、あまり豊かではなかったのでしょう。
 鳩は、羊や牛を買う余裕のない人たちのささげものでした。








 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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