2010年12月18日

Coffee Break117 マナのルール(出エジプト記16章、ルカの福音書12章20節)





 神様が天から降らせてくださったマナには、それをいただくルールがありました。
 
 主が命じられたことはこうです。『各自自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメル(2.3リットル)ずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいるもののためにそれを取れ。』(出エジプト記16章16節)

 それで、めいめい集めに行って、多く集めたものや少なく集めたものがあったのに、戻ってきて計ってみると、余ることも足りないこともなかったというのです。
 
 また、マナはその日その日集めて食べるもので、残しておいて蓄えてはいけないと、モーセは戒めています。そう言われても人間の本性・心配性でしょうか、翌日のために取っておいたものがいたのです。けれども、戒めに違反して残しておいたマナは、虫がわき、臭くなってしまいました。

 ただし、週の六日目には、二日分集めてもよいことになっていました。七日目は、安息日と言って、すべてのイスラエル人が休息しなければいけない休日であると、神がお定めになったからです。その由来は、創世記で天地を創造されたときに、神が六日間働いて、七日目に創造のワザをお休みになったことに発しています。

 もっとも、イエス様が来られて、十字架にご自分を磔にされ人類の罪を贖ってくださってからは、このような戒めは、無効になったと新約聖書に書いています。(新約聖書コロサイ人への手紙2章14節
 
 この休日のためにた蓄えたマナは、不思議なことに、虫もわかず、臭くもなりませんでした。神の戒めには、その保障があったのです。

☆☆☆☆


 いま、出エジプト記を読む私は、イスラエルの民を笑っていますが、自分もその場にいたら、ふと、蓄えておきたくなるような気がします。まして、小さな子供がいたりしたら、万一の時に子どもだけでも食事を与えなければなどと、「りっぱな口実」が浮かんできて、神の戒めを霞ませてしまうかもしれません。
 
 
 イスラエルの民が、荒野をさまよう間、四十年間、神が毎日マナを降らせてくださったという出エジプト記の記事を、肝に銘じたいものです。

 蓄えておかなかったら、飢え死にするかもしれない! 人はそんなふうに思い、そうする方が理に叶っていると思います。

 ルカの福音書では、次のようなたとえ話をイエス様が語られています。
「蓄えて安心しようとする人のたとえ」です。
 その人は、自分の畑が豊作だったので、「どうしよう。蓄えておく場所がない」と嬉しい悲鳴を上げました。それから、「そうだ。あの倉を壊してもっと大きな倉を建てよう。穀物や財産はみんなそこにしまっておこう。これで、ひと安心だから、これから、大いに楽しめるぞ

 その貪欲な男に、神様は仰せになるのです。
「愚か者。おまえのたましいは今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカの福音書12章20節)


 「安心」は、けっきょく、神様がともにいてくださらなければ、無意味なのではないでしょうか。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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