2010年12月20日

Coffee Break119 神の杖(出エジプト記17章)




 イスラエルの民は、シンの荒野から旅をしてレフイディムというところに来て、宿営することになりました。ここでも、揉め事が起こります。飲み水がなかったのです。

 それで民は、またモーセに詰め寄って水を求め、「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」と言いました。(3節)
 民に石で打ち殺されそうになったモーセは、主(神)に訴えました。
 主は仰せられました。イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って、ホレブの岩の上に行って岩を打ちなさい。
 言われたとおり、モーセが杖で、岩を打つと水が出てきたのです。

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 一つの問題が片付いたら、また、問題が起こりました。
 アマレクという荒野の民が、イスラエル人の宿営(キャンプ地)に攻めてきたのです。モーセはヨシュアという若者に「戦士になる者を選んで、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」と命じました。

 ヨシュアがアマレクと戦っている間、モーセはアロンとフルを連れて、丘に登りました。モーセが手を上げているときは、イスラエル軍が優勢になり、モーセが手を降ろすと、アマレク側が優勢になりました。
 というのも、杖を上げ続けているのは疲れるからです。何しろ、モーセは八十才です。羊飼いの杖は長くて重いのです。
 アロンとフルは、モーセを石の上に腰掛けさせ、両側からモーセの手を支えて、手が下がらないようにしました。

 そして、とうとう、ヨシュアはアマレク軍を打ち破ることができたのです。
 これは、大変記念すべきことです。
 ろくに軍事訓練もしていないイスラエルの兵士が、荒野で、初めて、襲ってくる外敵と戦って勝ったのです。
 モーセはそこに祭壇を築き、アドナイ・ニシ(主の御座の上の手と名づけました。

 それにしても、モーセが手にしていた神の杖とは何でしょう。もともとは、羊飼いだったモーセが羊を追うのに使っていた道具に過ぎません。けれども、神様が最初モーセに声をお掛けになったとき、その杖を神の杖に、変えられたのです。(出エジプト記4章2〜5節) 必要な時に、杖は蛇に変わり、杖はそれでナイルの水を打つと水を血に変え、葦の海に向かって杖を差し伸ばすと、海が真っ二つに割れる奇跡の杖にしてくださったのです。

 これは、私個人の意見ですが、モーセのこの杖は、神様への「信仰・信頼」を表しているのではないでしょうか。神様への信仰の気持ちを、自分の手の長さの先に伸ばし、神様を見上げて願う時、その真摯な姿に、神様は、祈りを聞いて、奇跡を起こしてくださるのではないでしょうか。

 それでも、人は弱くなり、力尽きてしまうことがあります。信仰が支えられなくなった時、アロンとフルがしたようにまわりから支えて上げなさい。なんとしてでも神の杖を高く上げ、手を伸ばし続けなさい。そのような信仰にわたしは答えようと、神様は言われていると思います。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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