2010年12月22日

Coffee Break121 シナイ山(出エジプト記19章)





 エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月の日に、シナイの荒野に入った。(出エジプト記19章1節)
 彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山のすぐ前に宿営した。(2節)


 ここで、モーセは神に呼ばれて、シナイ山に上っていきました。神はモーセにイスラエルに伝えるべきことを仰せになりました。
 @神がイスラエルの民をエジプトから連れ出したこと。民が見た奇跡・エジプトへの災害とイスラエルの民の救出を思い出し続けること。
 A今後とも、イスラエルが神の声に聞き従い、神との契約を守るなら、イスラエルは全世界を支配しておられる神の宝となること。
 Bさらに、イスラエルは祭司の王国、聖なる国民となること(神様と共にある神聖な国の民とすること)。

 モーセが山から下りて、長老たちに神のことばを伝えると、民は、「私たちは主が仰せられたことをみな行ないます。」と答えました。それを、モーセはまた、主に伝えに行きました。

 主は「見よ。わたしは濃い霧の中で、あなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞き、いつまでもあなたを信じるためである。」(9節) 

 主(神)は、三日後にシナイ山に下りてくるから、民にその準備をさせるよう、モーセに告げられた。
 それは、民が神のために身をきよめて神にお目にかかる準備をすること(聖別)です。体をきよめるだけでなく、衣服も洗うよう命じられました。また、山すそに境(垣根)を設けて、民が押し合って前に進み、山の敷地に入らないように注意されました。
 さらに、モーセは、民が女性に近づかないよう、言いました。


 三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと蜜雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。(16節) 

 全山は深い煙に包まれ、煙が立ち昇り、激しく震えたというのですから、なんとも神秘的で荘厳な光景です。 
 角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた。(19節)

 モーセと民は山のふもとに立ったのですが、モーセだけが呼ばれてまた、上がっていきました。
 主は、民が押し合って山に入ってこないよう、もう一度モーセに命じられました。神のお召しのないものが、不用意に山に入ると、死ぬからでした。モーセは、「境を設けてあるので、民が境を越えて聖なる地に入ってくることはありません」とあらためて申し上げました。

 神が民の前に顕現される場面の、ものものしさには、圧倒されます。


 ☆☆☆☆ 


 いま、私たちは、神は神秘的な神の山といわれる場所、深山幽谷だけに現れてくださるのではなく、天と地のすべてにあまねく存在していらっしゃる方だと知っています。私がいるこの部屋にも、外の道路にも、空にも木立の中にも外にも、モダンな高層ビルにも、もちろん、砂漠にも南極にも、大洋にもいらっしゃるのが、大きな一つの神様、「わたしはある」と言われる神様です。

 私たちクリスチャンは、教会堂を礼拝の場所として、日曜日などに、みんなで礼拝をしています。しかし、いつでもどこでも神の前に出て、お祈りし、お話しすることが出来ます。
 祈る前にはシャワーを浴びて体を洗い、衣服を着替えなければいけないと言った規則もありません。
 イエスさまが犠牲の羊となって、すべての人の罪を贖ってくださったので、特別に声を掛けていただいた予言者(モーセのような人)や祭司でなくても、神様に近づき、また、神様のほうから近づいて下さるからです。

 それでは、三千五百年前のこの場面は、今、ここを読む私たちに無意味なのでしょうか。
 もちろん、そんなことはありません。
 この箇所は、私たちが神様に祈ったり、お話ししたりするとき、畏敬の念を持って近づかなければならないと伝えているのではないでしょうか。限りなく大きな力のある神様に、膝を屈めるような気持ちで、礼儀正しく近づいてこそ、神様も答えてくださるのだということではないでしょうか。





posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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