2011年01月08日

Coffee Break138 戒めの細則(出エジプト記21〜23章)




 民はみな、雷と、いなずま、角笛の音と、煙る山を目撃した。民は見て、たじろぎ、遠く離れて立った。(出エジプト記20章18節)

 神はモーセに十戒を授けられました。その時、民は恐れて、見ることも聞くこともできませんでした。モーセひとりが神の言葉を聞き、書き記したのです。それは、契約の書となりました。

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 21章から23章までは、第四の戒めから第十の戒めまでの細則が具体的に書かれています。これらは、この時代の民・荒野のイスラエル人に与えられたものですから、今の私たちから見ると、当てはめることができない規則もあります。

 たとえば、奴隷と言うことばが出てきます。実際の階級の差は、いまの社会にもあるのですが、このころは、貧しさや、戦争で負けたために奴隷と呼ばれる階級に堕ちることがあったのです。ただ、この奴隷が、例えば、ローマ帝国が抱えていた奴隷、アメリカの黒人奴隷、日本の飛鳥奈良時代にあった「奴婢」などと、同じものとして、ひとからげに考えないことです。

 また、牛(や家畜)について、いくつもの掟が定められています。牛は、いまの、車や機械、耕運機、クレーン車のように使役されていたのですから、じつに身近なものだったのでしょう。大切な財産であっただけでなく、人を怪我させることがあり、また、盗まれたりする対象だったのも、車と共通するのです。違うのは、車は、壊れたらくず鉄ですが、牛は食べることができることでしょう。
 21章28節で、牛が男または女を突いて殺した場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、牛の持ち主は無罪である。と書かれているのは興味深いところです。牛についての細則は、この後も続きますのでぜひ、聖書を読んでください。

 同時に、いまも極刑の対象として存在するものに、誘拐があります。
 人をさらった者は、その人を売っていても、自分の手もとに置いていても、必ず殺されなければならない。(16節)

 盗みの刑は、いくらか軽い扱いです。
──もし、盗人が、抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、血の罪は打ったものにはない。(22章2節)
 もし、日が上っていれば、血の罪は打った者にある──盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし彼が何も持っていないなら、盗んだもののために、彼自身が売られなければならない。(3節)


 寄留する外国人、やもめ(未亡人)、孤児に対しては、彼らを悩ませてはならない。彼らが苦しんで叫ぶなら、わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣をもってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごになる。(22章24節)
 また、23章6節、9節、12節などにも、差別されがちな弱い者への言及があり、裁判における偽証や、わいろを戒めています。
 安息日を守ること、ささげものをすること、他の神への礼拝に対する戒めは、もちろん、何度も出てきます。(20章23節〜26節、22章20節28節〜30節、23章16節〜19節、24節25節32節

 24章で、主は一度、モーセを民の前に帰らせます。
 モーセは主のことばをことごとく書き記し、山のふもとに祭壇を築き、イスラエル十二部族のしるしとして、十二の石の柱を立て、その前で、全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげるのです。




posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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