2011年01月09日

Coffee Break139 契約(出エジプト記24章)



 
 それで、モーセは主のことばを、ことごとく書き記した。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、また、イスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。(出エジプト記24章4節)
 それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。(5節)
 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。(6節)
 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられることはみな行い、聞き従います。」(7節)
 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」(8節)



 エジプトから、イスラエルの民を導き出された主(神)が、十戒とその細則をお与えになったあと、それらを文書にし、いよいよ民と契約を結ばれる場面です。
 すでに、前夜、モーセは主のことばを民に告げていました。(24章3節) もちろん民は、主の仰せられたことは、みな行ないます。と答えるのです。
 朝になり、それらを書き記したモーセはもう一度それを民に読んで聞かせます。民はまた、「主の仰せられたことは、みな行ないます。」と言いました。

 しかし、これは、口約束ではないのです。神と民との間の、「たしかな」契約なのです。
 モーセは若者たちに命じて、全焼のいけにえと、和解のいけにえを準備させたのです。
 
 全焼のいけにえ(レビ記1章)とは、犠牲の動物を完全に燃やして煙りにしてしまうものです。これは、罪ある人間が神の御前に出るのに、まず自分の罪を許していただくための代価です。契約と言っても、相手は神さまなのです。
 和解のいけにえ(レビ記3章)とは、許していただいたことを確認する食事のためのいけにえです。神の前で、祭司と民が食事をするのです。
 しかし、動物を殺しただけでは、何の確証にもなりません。動物の血を器に取り、半分を祭壇にふりかけ、半分を民にふりかけるとき、始めて「証印」となるのです。契約の血であることが大切なのです。

 神はこれまで、ノアとアブラハムにも、契約を与えておられます。それは、ノアが箱舟から出てきたときに、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。(創世記8章20節)からでした。
 アブラハムと契約を結ばれた時(創世記15章)は、神が命じられた動物をアブラハムはささげました。神が命じられたとおり、鳥以外の動物を真っ二つに切り裂いて置きました。そこに、神ご自身が煙の立つかまどと、燃えるたいまつを下されて、それら犠牲の間を通り過ぎたのでした。これは、全焼のいけにえを象徴しているのでしょう。


 ☆☆☆☆

 アブラハムへの契約は、「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。
 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
と、アブラハムの子孫が、いつか永住する土地への約束です。

 モーセ率いるイスラエル人は、すでに、約束の地カナンに向かっているところです。ですから、約束はさらに具体的になっています。
 わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これが、ヒビ人、カナン人、ヘテ人を、あなたの前から追い払おう。(23章28節)

 そして、同時に、神は何度も、ほかの神々に仕えてはならないと戒めておられます。
 
 わたしは、あなたをエジプトの奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。と契約の最初に宣言された神は、あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎むものには、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、私を愛し、わたしの命令を守るものには、恵みを千代にまで施すからである。(20章5節6節)と、仰せになります。

 このシナイ契約が、神と人との結婚にたとえられるのも、わかると言うものです。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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