2011年01月16日

Coffee Break146 金の子牛事件後(出エジプト記33章34章)



 金の子牛事件は、神と民との間に、非常に大きな割れ目を作ってしまいました。
 民のあまりの乱行を見たモーセは、神の指で書かれた十戒の二枚の板を投げつけて、粉々に割ってしまいました。
 怒りの制裁で民三千人が、剣で殺されました。でなくても、乱痴気騒ぎの後の惨状はひどいものだったでしょう。
 なにより、これまで、先頭になってモーセと共に民を導いてくださった神が、もう自分はいっしょに行かないと仰せになったのです。モーセの必死のとりなしがつづきます。
 そのために、モーセは天幕を取り、宿営地の外遠くはなれた場所に張り、とくべつに神様と会見することとしました。
 
 モーセがこの天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、おのおの自分の天幕の入り口に立って、モーセが天幕に入るまで、彼を見守った。(33章8節)
 モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。主はモーセと語られた。(9節)
 民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。民はみな立って、おのおの自分の天幕の入口で伏し拝んだ。(10節)


 この時の天幕は、神がシナイで造り方を授けられた幕屋とはまるで違うものです。けれども、すでに、そこが、神の臨在される場所となったのです。遠くの天幕の者も、雲の柱を見ることができたのです。これは、私の想像ですが、それは天から降りてくる、たつ巻のような雲の柱だったかもしれません。

 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。(11節) 

 人が神の顔を見ることは許されていないので、ここで言う「顔と顔をあわせて」はとても親しい状態を述べたものでしょう。その親しい状態とは、人が「自分の友と語るとき」にたとえられています。その天幕は「会見の天幕」と呼ばれ、特別の聖域だったのです。それで、モーセが帰った後、ヨシュアがだれも、みだりに近寄らないように番をしていたのでしょう。

 33章を通じて、モーセは神に同行してくださるように重ねて交渉しています。
 やがて、主は仰せになります。

「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(19節)
 わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむについては、あらためて、書きたいと思っています。これは、神の自由について考えさせられることばです。

☆☆☆☆

 34章1節で、主はモーセに、二枚の石の板をもって、シナイに登って来るように命じられます。 そこで、もう一度十戒の戒めを授けられ、契約を結びなおしてくださったのです。
 モーセはふたたび、四十日四十夜主と共に山にいました。彼はパンも水も飲まなかったと書かれています。しかし、彼は痩せも衰えもしませんでした。それどころか、十戒を書き記した石の板をもって、山を下りてきたモーセの顔は、光を放っていて、だれも近づけないほどでした。(34章27節〜30節)



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。