2011年01月19日

Coffee Break149 モーセの変容(出エジプト記34章ルカの福音書9章)




 それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。(出エジプト記34章29節)

 これは、モーセの顔が、神様と語ったために、喜びにあふれ、興奮して輝いているというようなものではありません。じっさいにひかりを放ったのです。


 今の時代、私たちは「光り輝く人」を見るのは、容易なことです。出エジプト記の時代(三千五百年前)と比べなくても、ただ、百年前の人と比べても、容易ではないでしょうか。
 私たちはとても明るい世界に住んでいます。毎日、よい石鹸で洗顔することが出来ます。紫外線を避けて帽子を被り、日傘を差し、UVカットのクリームを塗って、化粧もきれいにしています。
 なんと言っても、ライトが格段に進化したのです。「蛍の光窓の雪」で勉強したと言われる時代はもはや伝説の世界ですが、ライティングでりんごでもみかんでも輝いて見えます。

 私は大きな舞台の上に立ったことが二三度あります。べつに、自慢するほどのことでもなく、学生時代に合唱部に入っていたので、合唱コンクールなるものに出たのです。八十人くらいの内の一人ですから目立つわけではありません。合唱の審査結果も、いつも選外でした。ただ、当時、大阪で一番大きいと言われたホールの舞台に上がった感想は、「まぶしい!!」というものでした。ものすごいライトが舞台を照らしているのを、初めて知ったのです。

 ニュース関係の方が、街頭で取材しているのに出くわしたことがありますが、テレビで見るよりずっと顔色が悪いのです。それで、また、ライトの効能を思い出したものです。


☆☆☆☆


 イエス様がペテロとヨハネとヤコブ連れて、祈るために山に入られた時のことです。

 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。(ルカの福音書9章29節)
 しかも、二人の人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、(30節)
 栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。(31節)


 モーセが、イエス様、エリヤとともに、山に現れただけでも、モーセがいかに神に用いられた人かわかるというものです。なにしろ、この時、モーセがシナイ山で神とお会いした出エジプトの時代から、千五百年も経っていたからです。エリヤは第二列王記に登場する、やはり、偉大な預言者です。その最期は、たつ巻に乗って天に昇って行ったのです。(U列王記2章11節)

 しかし、ここでイエス様の様子が変わって、光り輝いたのは、特筆すべきことなのです。イエス様とモーセとエリヤは、イエス様の十字架について話していたのです。イエス様の十字架は、新しい契約──神ご自身が十字架に磔になり、犠牲となって、私たちの罪を贖ってくださるという契約──のためなのです。
 私たちは、神の救いのご計画の中で、神様から二度、大きな契約をいただいているのです。最初がモーセの律法です。これが、旧い契約(旧約)と言われるものです。十戒を、石の板としていただいてきたとき、モーセの姿が光り輝いたのです。
 そして、二度目、新しい契約、十字架の契約の前に、イエス様の様子が変容されたのです。


 私たちのだれでも、容易に光り輝いて見える時代だからこそ、このイエス様の変容と、モーセの変容を、心に刻みたいと思うのです。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。