2011年01月31日

Coffee Break161 祭司の責務(レビ記10章)

 



 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。(レビ記10章2節)
 それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づくものによって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。』」それゆえ、アロンは黙っていた。(3節)


 アロンの二人の息子(長男と次男)ナダブとアビフが、父アロンとともに火をささげていた時、祭壇の火が彼らに移って、二人は焼け死にました。
 たとえば、新聞報道のようなものなら、このように書いたでしょう。このように、書かれ、事実をそのように見たら、彼らは、殉職です。いまなら、「労災」にも認定されそうな状況です。父アロンは、息子たちが焼け死んだのを、どのような思いで見たでしょう。まわりの人は、どのような態度で臨んだのでしょう。

 しかし、聖書の記事は、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだと書いています。
 それをモーセは、神の言葉を取り次いでさらに具体的に、語っています。わたしに近づくものによって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。
 翻訳ものですから、もってまわった言い方ですが、主(神)ご自身が、「これは、彼らがわたしに敬意を表さなかったので、わたしは彼らに怒りを示した」とおっしゃっているのです。
 アロンの二人の息子が、神を十分に敬わなかったというのは、間違った香を焚いたことに現れています。
 彼らが、万一故意ではなく、慣れないためのうっかりミスだったとしても、神は見逃されなかったのです。なぜなら、彼らは、神とイスラエルの民の間に立っている祭司だったからです。

 シナイ山で十戒をいただいて、神と契約をしたあと、イスラエルは神権政治の国家として歩み出しました──この時点では、まだ、国土はありませんでしたが。
 神が国と民とを導き、これから、カナンを目ざして上ろうという時です。神との関係を正しく保つために、神から命じられたとおり民の財産や労働奉仕を集め、十ヵ月もかけて幕屋を建設し、祭司を定めました。イスラエルにとって、祭儀を行い、神にお伺いを立てる祭司は、国の要になるはずの職でした。
 それだけに、わずかの気の緩み、また人の思いで勝手に儀式の内容を変更するなど、許されないことだったのです。

 神はそのような間違いや違反を、「わたしは嫌う」とはっきり表明され、彼らを罰することで、ご自分の「聖さ」「栄光」を現されたのです。


☆☆☆☆


 神は私たち人間を、愛の対象としてお造りになりました。神のご性質は、「愛」なのです。けれども、同時に、神は「聖」のご性質をもった方なのです。禁止されていた木の実を食べたアダムとエバを、神が楽園から追放されたことを思い出して下さい。もし、追放されなければ、アダムとエバも、ナダブとアビフのように、神様の怒りに触れて死んでいたでしょう。神の聖さが、不正に対して厳しい反応をされるのです。

 ノアの一家を助け、悪を行なう大部分の人々を洪水で滅ぼされたのも、同じ理由からでした。
 バベルの塔を建てようとした人たちが、全地に散らされたのも同じ理由でした。
 一方で、神は何とか罪に堕ちた人類を救おうと、アブラハムを召し出されました。アブラハムの子孫を地のちりのように増やす、その子孫から全人類が祝福されるという約束をしてくださいました。
 約束どおり、アブラハムの孫ヤコブ(イスラエル)の子孫を、数々の奇蹟を現してエジプトから導き出され、契約を与えたのです。これは、言葉に尽くせないほど大きな神の愛の現れです。


 モーセから、神の言葉を聞いたアロンは、それゆえ、黙っていたと書かれています。

 モーセはアロンのおじウジェルの子ミシャエルとエルツァファンを呼び寄せ、彼らに言った。「進み出て、あなたがたの身内の者たちを聖所の前から宿営の外に運び出しなさい。」(レビ記10章4節)

 祭司は死体に触れることができないので、アロンは息子の死を弔うこともできませんでした。祭司の仕事は、それほど厳しいものであったのです。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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