2011年02月03日

Coffee Break164 食物禁忌とグルメ(レビ記11章)



 
 食べものが何よりも大切なのは、古代イスラエルだけでなく、中世、現代、発展途上国、先進国、僻地、都会を問わず同じです。
 ただ、レビ記は食べてよい食物と、食べることを禁止する食物とを列挙しているのではありません。食べてはいけない動物は、同時に、「忌むべきもの」「汚(けが)れたもの」として指定されています。食べてはいけない理由は毒キノコのように、食中毒の原因になることがはっきりしているからではないようです。

 それから、岩だぬき、これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。(レビ記11章5節)
 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。(6節)
 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。(7節)


 「忌む」は強く嫌って避けることです。「汚れる」は、文字通り汚れることだけでなく、聖(きよ)いものでなくなることです。ですから、レビ記の食物規程でこれらの動物を食べてはいけない理由は、なにより神様の目からご覧になって「汚い」もの、「身を汚す」ものだからでしょう。
 その理由は、いろいろ憶測することはできますが、神様の深遠な配慮の真実は、とくに今の私たちには、なかなかわかりません。

 これらの規程を、聖書を読む私たちが、現代に適用するとしたら、「身を汚さないよう」に食べるのが、やはり本来の食生活ではないかと思います。
 食べ過ぎて病気になるとか、また別の食べ物でダイエットしなければならないとしたら、そもそも「身を汚す」食べ方をしていることにならないでしょうか。


 また、毒をもつわけでもないたくさんの種類の動物、ひょっとしたら案外おいしいかもしれない動物たちが、忌むべきものとして食用にするのを禁止されているこの食物規定には、環境保護や生態系保全など、現代にも通じる考え方が根底にあるように思います。

 豊かな国が強いドルや円で食料を買い占め、貧しい国が飢えているなどというのも、「忌むべき」ことではないでしょうか。世界中から食べ物が集まってくる豊かな国にいるものは、(自分もふくめて)幸せです。しかし、自然や生態系まで破壊するほど採りつくすのも、天地をお造りになった神様の忌み嫌われることではないかと、気がつくのです。


☆☆☆☆


 もっとも、律法の細則であるこれらの食物規程が、歴史的に見ていつでも厳格に守られていたのでしょうか。そうでないから、問題が起こったのでしょう。


 同じ旧約聖書の第二列王記に、ひどい飢饉のなかで、ある女が友だちの女にそそのかされて、自分の子どもを煮て食べた話が出ています。(U列王記6章24節〜30節)

 これは極端なエピソードですが、このようなことになってしまったのは、出エジプトから七百年ほど経った頃の(北)イスラエル王国が、まことの神様への信仰を失い、偶像礼拝に陥り、乱れに乱れていたことと無関係ではなかったのです。

 グルメ追求は私たちの幸せ感を満たしますが、その快適さを下さる方の心を、いつも見ていたいものです。



posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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