2011年02月05日

Coffee Break166 ツァラアト(レビ記13章14章)


 

 ツァラアトとは何でしょう。
 聖書では、皮膚に現れるツァラアト。衣服にあらわれるツァラアト。編み物、織物、皮製品のツァラアト。家の壁などに生じるツァラアトが記されています。


 ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。(レビ記13章1節)
 ある人のからだの皮膚にはれもの、あるいはかさぶた、あるいは光る斑点ができ、からだの皮膚にツァラアトの患部が現れたときは、彼を、祭司アロンか、祭司であるその子らのひとりのところに連れてくる。(2節)
 祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはツァラアトの患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。(3節)


 このような書き出しのために、ツァラアトは〈らい病〉と訳された頃もあったようです。けれども、13章、14章を読むと、ツァラアトは人のからだの表面に現れる一種の皮膚病。または、布や革製品、家の壁などに現れるもの・カビの一種のようです。

 今のお医者さんが皮膚の所見に対するこの箇所を読まれたとき、これがどのような病気だと判断するのか、専門知識のない私には検討もつきません。

 皮膚のツァラアトは、@やがて自然に消滅するもの(6節)、A慢性のもの(11節)、B悪性で全身に広がっていくもの(12節)、Cやけど(28節)、Dかいせん(30節)、E皮膚の腫れ物(43節)、色の異常、湿疹(39節)などに分けて、症状と対策が説明されています。


 いわゆるハンセン氏病が含まれていたとしても、これらの一つに過ぎないのですが、病気のなかでも「皮膚に現れる異常」は恐れられていたのでしょう。内側の病気が最初に現れるのは肌の色だからかもしれません。また、皮膚疾患の多くが伝染するように見えたのかもしれません。そのようなものは、見かけだけでなく、神様に対し、なにか清くないことをしたと、考えられたのかもしれません。
 それで、皮膚に異常があるとき、祭司に見てもらって、ささげ物をし、きよめてもらったのです。祭司は症状を、おきてに照らして調べ、慢性のツァラアトと判断された場合、その人は宿営地から離れた場所に、隔離されたのです。


☆☆☆☆


 皮膚のツァラアトが最初に聖書に記載されているのは、モーセがホレブで神に召された時です。神の召しを信じられないモーセに、神は「手をふところに入れてから出してみよ。」と仰せになるのです。はたして、モーセが手をふところに入れて出してみると、その手は白く変わっていました。
 もう一度、手をふところに入れて出してみると、手は元通りになっていました。モーセに現された神の2番目の奇蹟です。(出エジプト記4章6節7節)


 第二列王記5章には、預言者エリシャが、アラムの将軍ナアマンのツァラアトを癒した話が出ています。
 アラムの将軍ナアマンは自分の主君であるアラム王から、わざわざイスラエルの王に紹介状を書いてもらい、たくさんのみやげ物をもって、エリシャに会いにきます。
 ところが、エリシャは応対にも出てこず、期待したように手を置いて祈ってくれることもなく、ヨルダン川で七度身を洗いなさいと、エリシャの弟子を通じて指示したのです。身分の高い将軍ですから、気を悪くしたのですが、部下の一人がなだめてヨルダン川に入るよう勧めました。はたして、将軍ナアマンのからだは元通りになって、幼子のからだのようになり、きよくなったのです。〈第二列王記5章14節〉 


 これらの、物語は、ツァラアトが病気としての深刻であると同時に、「きよくない」「汚れた」もの──なんらの意味で、神からのメッセージのあらわれたもの──と見なされていたことがわかります。ナアマンは、癒しを経験したあと、一行全部を引き連れ、エリシャのもとに戻ってきて言います。

「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」(15節)
 神の人エリシャは、しかし、きっぱりと受け取るのを断ったのです。(16節) 癒したのは自分ではなく、神さまだとわかっていたからです。




 
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。