2011年02月16日

Coffee Break175 祭司の妻の条件(レビ記21章)




 祭司が死者に関わってはいけない理由は、「死は神様の御心ではない現象」だからと、私は考えます。人が神の手によって、地のちりから形作られ、神様の霊の息吹き込んでいただいて「いのちある者」になったとき、人は永遠に生きるものとされていたからです。

 「死は理不尽なもの」との認識は、だれにでもあると思います。まだ死にたくない(死ねない)時期に、思いを残して亡くなる人だけではありません。十分働き、成果を残し、たくさんの子や孫を残し、平均寿命をはるかに超えて百歳まで生きても、やはり、理不尽なことだとの気持ちは起こるのではないでしょうか。
 人間には理性がありますから、達観したり悟ったりして死を受け容れる人もいるでしょう。そうして、本人は「ちりに帰る」と覚悟を決めても、残された者が悔やみます。
 
 自分など、だれも愛してくれないし、どこへ行っても嫌われている。病気や老いのため人の世話にならないと生きて行けない。いっそ死んだ方が良い。もう自分の死を悲しむものなどいないよ、とさえ言いきる人に会ったことがあります。

 そのように開き直って死を受け容れようとしても、やはり、死は理不尽なものなのです。
 なんと言っても、それは、神様がご覧になって理不尽なことだからです。だれひとり悲しまないと思われる人の死でも、神様が悲しんでおられるのです。なぜなら、神様は永遠に生きるものとして、人をお造りになったからです。

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 祭司については、まだまだ細かい規則が続きます。

 彼らは淫行で汚れている女をめとってはならない。また、夫から離婚された女をめとってはならない。祭司は神に対して聖であるから。(レビ記21章7節)
 祭司の娘が淫行で身を汚すなら、その父を汚すことになる。彼女は火で焼かれなければならない。(9節)


 淫行とは、正式な結婚関係のないもの同士の性的関係、また、レビ記18章で示されているような禁止されている性的関係をもつことです。姦淫は、結婚している女が夫以外の男性と関係を持つことで、淫行の一種になります。また、男が遊女(売春婦)と関係をもつのは、不品行と言いました。祭司の娘の淫行は、「火で焼かれなければならない」のですから、これは、石打ちの刑より残酷だったのでしょうか。
 
 おきては、大祭司になると、もっと厳しくなります。

 兄弟たちのうち、大祭司で、頭にそそぎの油がそそがれ、聖別されて装束を着けているものは、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いてはならない。(10節)
 どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の父と母のためにも、自分の身を汚してはならない。(11節)
──だだの祭司の場合、近親のものの葬式にはでることができたのです。
 聖所から出て行って、神の聖所を汚してはならない。神のそそぎの油による記章を身につけてからである。わたしは主である。(12節)
 彼は処女である女をめとらなければならない。やもめ、離婚された女、あるいは淫行で汚れている女、これらをめとってはならない。彼はただ、自分の民から処女である女をめとらなければならない。(14節)
 彼の民のうちで、その子孫を汚すことのないためである。わたしは彼を聖別する主だからである。(15節)


 祭司は、夫に先立たれた女をめとることができましたが、大祭司は、処女でなければいけないと念を押されています。

 ついで主はモーセに告げて仰せられた。

「アロンに告げて言え。(16節)
 あなたの代々の子孫のうち、だれでも身に欠陥のある者は、神のパンをささげるために近づいてはならない。(17節)
 だれでも、身に欠陥のあるものは近づいてはならない。目の見えないもの。足のなえた者、あるいは手足が短すぎたり、長すぎたりしている者。(21章18節)


 障害のある人を、具体的にその状態を列挙して、祭司の仕事をしてはならないとする、レビ記21章16節から23節までには、ちょっと注意が必要でしょう。

 これについては、明日、考えてみたいと思います。



posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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