2011年02月18日

Coffee Break177 祭司の食生活(レビ記22章)





 祭司の生活は、和解のささげ物の一部が取り分となって、支えられました。
 しかし、一度はささげられた聖なるものですから、食べ物とはいえ、その扱いは細心の注意を必要としました。

 アロンとその子らに告げよ。
 イスラエル人の聖なるものは、わたしのために聖別しなければならない。彼らはわたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために、聖なるものとすべきものである。わたしは主である。(レビ記22章2節)


● 聖別した食事を食べる席に、汚(けが)れたままで近づいてはならない。
● アロンの子孫で、ツァラアトや漏出のある者は、聖なるものを食べてはならない。
● 汚れた生き物(爬虫類など)に触れたもの。また人を汚れさせる人間(遊女などか)に触れたものも、聖なる物を食べてはいけない。その者は、からだに水を浴びてから食べる。
● または、夕方日が沈めば、きよくなるので、食べることができる。
● 自然に死んだものや、野獣に裂き殺されたものは食べてはいけない──正規の手続きでほふられていないから。

 このような規程を守って食べれば、祭司たちは、罪を負って死ぬことはないと、神は念を押されています。

 また、祭司以外の者が、聖なる物を食べる場合の規定は、次のとおりです。

● 一般人はだれも聖なるものを食べてはいけない。
  祭司の家にいても、たんに同居している者や雇い人は、聖なる物を食べてはならない。
● 祭司に金で買われた者(奴隷)は、これを食べることができる。また、その家で生まれたしもべも、祭司のパンを食べることができる。
● 祭司の娘で、一般人と結婚したものは、聖なるものを食べることはできない。
● 祭司の娘でも、離婚されて実家に帰っているものや、やもめで親元に戻っているもので、子どもがない場合、娘の時のように父親の物を食べることができる。(子供がいる場合は、親元にいても婚家先のものと見なされるので、食べることができない)
● 一般の人は、だれも、聖なる物をたべてはならない。
● 誤って誰かが食べた場合、その五分の一を足して、祭司に渡す。
● しかし、祭司は一般人がそのような過ちを犯して、罪過の咎を負うことがないよう、細心の注意を払わなければならない。
 
 この文脈から、祭司は、務めのないときは食事を自分の家でとったと推測できます。しかし、そのプライベートタイムにも、祭司の責務を負っていました。食事中もけっして、気を抜くことができなかったのではないでしょうか。

 興味深いのは、一時的な同居人(客?)や雇い人は、聖なるものを食べることができなかったのに、身分的には下のはずの奴隷は、聖なるものを食べることができたことです。
 奴隷は、主人に属するものなのである意味、家族扱いだったのかもしれません。

 祭司は職務から離れているときも、いつも神と向き合っている暮らしだったと伺えます。 

 イスラエルが神権政治国家であったのは、神のお定めになったことです。その国を動かす役割の祭司の責任は重大でした。

 
 モーセが四十年後、カナンを目前にしたアラバの荒野で、イスラエルの民に語ったことばは、彼らの神礼拝の原点を示しています。
 
 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章5節)




posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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