2011年02月21日

Coffee Break180 過ぎ越しのまつり(レビ記23章出エジプト記11章12章)




 レビ記23章には、その後、イスラエルの民が長く行なうことになる例祭(毎年の祭り)が、神によって命じられているのです。
最初が、安息日でした。安息日は昨日も書いたたように十戒の第四番めの戒めでした。
つぎが、
 ●過ぎ越し(レビ記23章4〜14節)
 ●七週の祭り(15〜22節)
 ●新年の祭り(24〜25節)
 ●贖罪の日(27〜32節)
 ●仮庵の祭り(34〜43節)

 祭りはすべて、祭司や幕屋と関わる祭祀行事であり、神をほめたたえることでしたから、レビ記に戒めとして取り上げられているのです。

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 過ぎ越しの祭りは、イスラエルの民にとって歴史的な出来事、出エジプトを記念するものです。
 アブラハム・イサク・ヤコブの神は創世記の時代、彼らの子孫であるイスラエルの民から、全人類が神の祝福に入ると、約束を与えておられました。そのために、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫が民族と呼ばれるほどの大きさになる時間と場所が必要でした。
 ヤコブの十一番目の息子ヨセフがエジプトの宰相となり、飢饉に苦しむ一族全員七十人ほどをエジプトに迎え入れたところで、創世記は終りました。
 それから、四百年ほど後、王朝の交代でいつしか奴隷に堕ちていたイスラエル人を、神がエジプトから連れ出そうと、モーセを召し出されるのです。(出エジプト記3章)

 神はイスラエル人のために、さまざまな災厄でエジプトを打ち、パロ(エジプトの王)が、奴隷であるイスラエル人を出国させるよう促しました。パロは、アブラハム・イサク・ヤコブの神、「わたしはある」と言われる神の、人知を超えたふしぎなわざの数々に、何度か気持ちを揺さぶられるのですが、どうしてもイスラエルの民全員の出国を許可しません。

 最後に神(主)は、決定的とも言うべき災厄をエジプトに下します。それは、エジプトにいるすべてのものの初子──パロの息子から、奴隷女の息子、羊や家畜の子にいたるまでを打つ(死なせる)ものです。(出エジプト記11章5節)

 初子や初物はもともと神のものと定められていました。まだ、神がそのようなご命令を出さなかったカインとアベルの時代に、二人は自分たちの土地で取れた産物、羊の群れから、それぞれ初物、初子を神にささげたのです。

 初子かどうかは別にして、偶像礼拝をしている民の間では、人間の子どもを祭壇にささげるといった風習もあったようです。
 しかし、人間の子をささげることは、聖書の神・アブラハム・イサク・ヤコブの神のもとでは、禁止されていました。(レビ記18章21節)
 アブラハムの時代に、イサクをささげよとご命令されたことがありますが、それは、アブラハムの信仰をテストするためでしたから、アブラハムがイサクをほふろうとする瞬間に止められました。

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 主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。(出エジプト記12章1節)
 この月をあなたがたの月の始りとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。(2節)
 イスラエルの全会衆に告げて言え。
 この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。

 あなたがたはこの月の14日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会に集まって、夕暮れにそれをほふり、(6節)
 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいにそれをつける。(7節)


 神のみわざを目の当たりにしても、どうしてもイスラエルの神・主を認めないエジプトのパロに対して、ついに、神はみ怒りをもって、報いられるのです。
 エジプト中の初子を打つと宣言されたのですが、ただ、この神の声を聞くことができた人は神の怒りは通り過ぎると約束してくださったのです。

 それは、ほふった羊の血を、門柱とかもいに塗りつけておくことでした。
 こうしておけば、主は、その血を見て、あなたがたの所を通り越そうと言われるのです。そうしたら、わたしがエジプトの血を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。(12章13節)

 この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。(出エジプト記12章14節)

 レビ記23章の記述は、このご命令を確実なものにするためでした。



posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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