2011年02月26日

Coffee Break185 ヨベルの年(レビ記25章)




 七日ごとの安息日は、休息を取って心身を回復させるものでした。七年ごとの安息年は、土地を休ませて新生させるものでした。それは、人間の権利、実利的な土地活用というより、神が与えてくださるものでした。神はご自分のお造りになった被造物──人も家畜も土地もしぜんも、疲れ果てて滅びることがないよう、細かく暖かな配慮をして下さったのです。
 ただ、安息を取るだけでなく、そのとき、神のみわざを覚えて、神と向き合いなさいと言われるのです。そうすると、神様の聖なるご性質が、肉体の疲れだけでなく、心のなかの疲れや闇をも取り去って下さるのです。

 あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。(レビ記19章2節) 


☆☆☆☆

 安息年が七回続いた後、その翌年(五十年目)がヨベルの年でした。

 あなたは安息の年を七たび、つまり七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。(レビ記25章8節)
 あなたがたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。(9節)
 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。(10節)


 ヨベルの年とは、五十年目の聖なる年でした。この年には、四十九年間に民の生活のうえに生じたすべての負債が免除されるのです。借金があるものは、借金が帳消しになりました。貧しくなって土地を売っていたものもその土地を返してもらえました。自分や子どもを奴隷に売っていた者は、解放されました。
 
 ヨベルの年まで待たなくても、土地には買い戻しの権利がありました。つまり、地は耕作の権利を売るので、所有権を売るのではなかったのです。

 地は買戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから、あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。(23節) 

 地は神様のものです。それで、買った人は、相手が買い戻せる時には、買い戻させなければなりませんでした。その人が貧しくても、親戚の者が買い戻してやることができました。これが、きちんと行なわれれば大土地所有者は生まれないはずです。

 これはすばらしいおきてです。どのような社会でも、貧富の差が出てきます。貸し借りが出てくるのです。それは、人間の苦しみの原因、生存そのものの危機です。借財を帳消しにして、人生をリセットできればと思っている人は今でも多いでしょう。
 まだ、国の形もない、支配の制度も整わないイスラエルの民に、ヨベルの年を命じられた神は、まことにあわれみ深く、情け深い方だと、あらためて思うのです。

 それから、五百年後、イスラエル王国の二代目の王ダビデは神、主を讃えて歌っています。



    わがたましいよ。主をほめたたえよ。
    私のうちにあるすべてのものよ。
    聖なる御名をほめたたえよ。
    主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
    主は、あなたのすべての咎を赦し、
    あなたのいのちを穴から贖い、
    あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
    あなたの一生を良いもので満たされる。
    あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
    主はすべてしいたげられている人々のために、
    正義とさばきを行なわれる。
    主はご自身の道をモーセに、
    そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
    主は、あわれみ深く、情け深い。
    怒るのにおそく、恵み豊かである。(詩篇103,1〜9)
 




 聖句の引用は新改訳聖書から使わせていただいています。







posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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