2011年02月27日

Coffee Break186 偶像礼拝への戒め(レビ記26章)



 あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また、自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石造を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。(レビ記26章1節)

 安息日、安息年、ヨベルの年の遵守について、モーセに告げられたあと、レビ記26章で、神はまたまた、偶像礼拝を戒めています。
 すでに見たように、偶像礼拝の戒めは、十戒の2番目の戒めです(出エジプト記20章4節)。十戒では、この偶像礼拝の戒めに、長い補足の説明がついています。

 あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎むものには、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまでほどこすからである。(20章4節〜6節)


 これらの聖句を読むと、偶像とはかたちのあるもの、人間が手で造ったものであるのが、わかります。それが、具体的にどのようなものかも想像がつきます。私たちの身の回りにもたくさんありますし、古代の遺物や美術品などを、博物館や写真集で見るとき、その多くが信仰や祀りごとと関係があるものだと説明されています。
 

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 天地を創造された神、アブラハム・イサク・ヤコブの神、「わたしはある」と、モーセに自己紹介された神は、イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から救い出して、シナイで契約を結んでくださいました。
 イスラエルの民が、無事エジプトから脱出でき、葦の海をわたり、追いかけるエジプト軍を振り払い、食べ物のないところでマナを食べ、苦い水を甘い水として飲み、無事、シナイまで来ることができたのは、神・主の、イスラエルの民への一方的な愛、その現われとして尋常でない大きな奇蹟や不思議のわざがあったからこそです。そのような神からの救いを経験した民に対し、神は、「私以外にほかの神々があってはならない」(出エジプト記20章3節)と言われるのです。
 それは、もとより、天地創造の神が二人も三人もいて、ほかの神に、イスラエルの民が気を取られるということではありません。
 むしろ、アダムとエバが楽園を追放されて以来、ほとんどの人間は、もともと自分たちを造ってくださった神の姿を忘れてしまっていました。神を祀り、礼拝するために、礼拝の対象を自分たちで考え、造ってしまうようになっていたのです。
 
 偶像になっていたものは、太陽、月、牛、ヘビ、かえるなど、数多くあります。
 創世記を見ると、ヤコブの妻ラケルとレアの実家にも、テラフィムと呼ばれる守り神がありました。それをラケルが持ち出したエピソード(創世記31章19節)を考えると、形のあるものだったのでしょう。また、ヤコブの息子ヨセフは、エジプトで宰相となったあと、エジプトの祭司の娘と結婚しています。モーセもミディアンの祭司の娘チッポラと結婚していますが、彼女たちの父親は、いずれも、アブラハム・イサク・ヤコブの神ではない、異教の神の祭司です。
 
 シナイまで来たイスラエルの民の中にも、異教の偶像崇拝は紛れ込んでいたのでしょう。異教の風習、まじないや占いや口寄せなどと、自分たちに契約を下さった神との厳密な区別もつかない人もまだまだいたことでしょう。
 それで、神・主は、何度も何度も、偶像礼拝を戒めなければならなかったのでは、ないでしょうか。
 
 その戒めは、十戒以後、レビ記26章まで、レビ記20章2節、レビ記19章4節17章7節、出エジプト記34章11節〜14節、17節、出エジプト記32章全体、出エジプト記23章24節と、繰り返されるのです。同時に、おきてに従ったときの平安な生活、子孫や収穫への祝福。おきてに違反した場合の厳しい制裁、報復とが、明記されています。

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 もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それを行なうなら、
 わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、(レビ記26章3節)
 あなたがたの麦打ちは、ぶどうの刈り入れまで続き、ぶどうの刈りいれ時は、種蒔きまで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかにあなたがたの地に住む。(4節)


 この祝福の説明は、まるで子どもに言い聞かせるように具体的で、明快だと思われませんか。
 一方、聞き従わなかった場合の罰や報復も、26章14節から、怖ろしいばかりに具体的に書かれています。
 
 すなわち、わたしはあなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病で目を衰えさせ、心をすり減らさせる。あなたがたは、種を蒔いてもむだになる。あなたがたの敵がそれを食べる。(16節)
 あなたがたの力はむだに費やされる。あなたがたの地はその産物を出さず、地の木々もその実を結ばないであろう。(20節)


 このように、具体的に、懇切に、何度も何度も言い聞かせなければならない民だったことがわかります。まことに、「全人類を救いに入れる選びの民」を造るのは、容易ではなかったのです。 




 
posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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