2011年03月01日

Coffee Break188 新しい偶像の時代



  主はこう仰せられる。 
 「異邦人の道を見習うな。
  天のしるしにおののくな。
  異邦人がそれらにおののいていても。
  国々の民のならわしはむなしいからだ。
  それは、林から切り出された木、
  木工が、なたで作ったものにすぎない。
  それは銀と金で飾られ、
  釘や、槌で、動かないように打ち付けられる。
  それは、きゅうり畑のかかしのようで、
  ものも言えず、歩けないので、
  いちいち運んでやらないければならない。
  そんな物を恐れるな。
  わざわいも幸いも下せないからだ。」
          (エレミヤ書10章2節〜5節)



 これは、ユダ王国の預言者だったエレミヤの預言の一部です。
 イスラエルは、神から十戒をいただいてから四十年後、約束の地カナンに入りました。紀元前千百年頃には、サウル王を擁立して王国を建て、ダビデ、ソロモンの二人の王の時代には絶頂期を迎えました。
 しかし、ソロモンの時代には、周辺の偶像礼拝はイスラエル人の中に侵入してきました。民が偶像崇拝するだけではなく、外国の女性をたくさん妻に迎えていたソロモン王みずからが、偶像を祀るようになりました。やがてソロモンが死ぬと、国は分裂し、ますます偶像礼拝が入り込み、イスラエルは周辺の強国に蹂躙され、ぼろぼろになっていくのです。

 その苦しみの時代にエレミヤを初め、多くの預言者が現れて、神のことばを伝えました。預言者を通じて、またまた、神が偶像礼拝を警告されたのは当然のことでした。


☆☆☆☆

 Coffee Break183で説明したように、イスラエルは神政政治国家です。国としての求心力、支配体制、アイデンティティは、エジプトから彼らを救い出した下さった神・主への信仰による、いわば「神支配」で成り立っている国でした。
 ですから、外国の神々が侵入してくることは、国境を破られるにも等しいできごとでした。
 
 もちろん、そのような政治的理由以上に、偶像は、神の目からご覧になったらいまわしいものです。

 その第一の理由は、私たち人間は被造物にすぎないのに、その被造物が神を造る「無理」です。とうぜん、それは偽物です。人が神を造るのでは、どれほど良いものができたとしても、結果的に人の頭で考え出す以上のモノでないのは、子どもでもわかる理屈です。

 さらに、本質的な問題は、「人が神を造る」傲慢さです。
 神と対等になろうとして、アダムとエバは、楽園を追放されました。また、バベルの塔を作って「名を上げようとした」人間たちは、世界中に散らされました。
 神は、傲慢を、何よりも嫌われるのです。


 イスラエルの民の偶像崇拝は、新約聖書の時代には、ほとんど問題になっていないようです。イエス様と対立していたのは偶像主義者ではなくて、律法主義者でした。イエス様を殺そうとたくらみ、じっさい十字架につけたのも、当時の祭司や律法学者でした。


 その後、キリスト教国になった欧米では、偶像は一掃されたのでしょうか。たしかに、モレクやダゴンの神はなくなったでしょう。
 けれども、自分で自分が拝むものを作り、自分が造ったものが神になるという意味では、新しい偶像が生まれていないでしょうか。

 
 人を傲慢にさせ、ほんとうの神様から心を逸らさせるのが悪魔のたくらみだとすれば、悪魔は時代に応じ、民の求めに応じて、姿を変えた偶像を、私たちの前に置いていることでしょう。

 もう本気で拝む人もあまりいない古めかしい仏像やお社を目の敵している間に、時代が持ち込む新しい偶像が、人と神の間を裂こうと割り込んでくる。それこそ、警戒しなければならないことではないでしょうか。
  
 



 
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2011年03月02日

Coffee Break189 主はモーセに告げて仰せられた(レビ記)

 

 
 レビ記は、創世記、出エジプト記に続いて、三番目の書物です。ここには、創世記、出エジプト記で見たような、時間と空間の中で、人間が活動するダイナミックな物語はほとんどありませんでした。祭司アロンの二人の息子が、火をささげていた時に焼け死んだこと。神を冒涜した男が石打にあったことが、わずかに劇的な場面です。
 レビ記も26章まで読んできて、あとは27章だけになりました。どのように感じられたでしょう。私にとっては、正直なところ、かなり胸突き八丁(上り坂)でした。


☆☆☆☆ 

 出エジプトから、一ヵ月後にシナイに到着したイスラエルの民に、神が契約とその細則をお与えになって、ようやく、「全人類を祝福に入れる器となる民」の神政政治国家が発足したのです。その一年後に、幕屋が完成しました。国家の支配体系の要が出来上がったのです。
 次には、国家が機能するように、そこで働く祭司と民に、詳細な規則が与えられなければなりません。

 ここでレビ記の記述を、大きく分けて振り返って見ましょう。

@ささげ物規程 全焼のささげ物、和解のささげ物、穀物のささげ物、罪のためのささげ物、償いのささげ物の詳細な規程です。(レビ記1章〜7章)
A祭司の任職をふくめた祭祀儀礼 (レビ記8章〜10章)
B聖(きよ)いものと汚(けが)れたもの (レビ記11章〜15章)
Cさまざまな律法、罪に当たる行為、規制と処罰(レビ記17章〜26章)

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 レビ記が語られている期間は、聖書に見るかぎり、幕屋完成からつぎの民数記が始まるまでの、わずか一ヶ月ほどです。(もっと後世に書かれたものが、ここに入れられたといった「学術的見解」もあるようですが、今、聖書を読む私たちは、今ある形の聖書を完成したものとして読むので、そのような分析はひとまず除外します。)
 
 いよいよシナイを出発する前に、「契約」によって始動し始めた国家が機能するよう、必要な規則や制度を整え、発布しなければなりませんでした。
 発布したのは、もちろん、エジプトからイスラエルの民を救い出して契約を結んでくださった「神、主」です。主権は神にある国なのですから、とうぜんです。レビ記の各章の始りは、ほとんどが、「主はモーセに告げて仰せられた。」で始まっているのに気がついておられる方も多いでしょう。

 クリスチャンでも勘違いをしやすいのですが、聖書の中で、モーセは神から召命を受け、神とお話しができる特別な預言者です。しかし、世俗的な意味での、イスラエルの民のリーダーではありません。モーセはリーダーにふさわしい人格者だったかもしれませんし、民を率いる労苦は想像を絶するものに違いなかっただろうとは、だれでも認めるところです。けれども、彼が民の頂点にいたのは、ただ、神に選ばれ、神の御心の通り動き、何よりも、神に忠実なしもべであったからです。
 レビ記の規則は、ですから、モーセが考えだしたとか、民が合議で決めたものではないのです。

 
☆☆☆☆

 レビ記を貫くのは、「神支配の国において、神に対して、人はどのようにあるべきなのか」だと思います。一度楽園を追放された人間が、生活のあらゆる面で、神の支配と守りとのなかで生きるのは、それ自身矛盾をはらんでいます。神はとても聖い方で、その顔を見たものは死ぬと言われたほどなのです。
 それで、神政政治の国では、神に接する専門職・祭司が決められ、神とお会いする場所(幕屋)も厳重に囲われました。祭司が神様の前に出るための、複雑な手続きが定められました。神に罪を許していただいたり、感謝をささげたり、誓願がある民は、祭司を通じて目的を果たすのです。そのため定められたささげ物を、定められた手続きでささげ、祭司に祈ってもらわなければなりませんでした。その祭司も、至聖所に入ることができるのは大祭司だけで、それも、一年に一度でした。
 直接神様の前に出ることができなくても、民は、神の民にふさわしい聖さが求められました。日常の生活も神の民にふさわしく、聖いものでなければなりませんでした。レビ記は、そうした神の民の、あるべき姿が細かく記されているのです。

 神が自ら歩み寄ってくださって、与えてくださった十戒と契約でしたが、神とのたしかな関係を保つのは、容易なことではありませんでした。




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2011年03月03日

Coffee Break190 神の子羊(新約聖書ヨハネの福音書1章、マタイの福音書27章)



 
 レビ記全体を通して、ささげ物は、ささげる人の身代わりであるという認識が貫かれています。犠牲の羊や雄牛は、ささげる人の罪の身代わりなのです。自分の罪を贖ってからでないと、だれも神の前に出ることができなかったのです。
 いけにえを幕屋の入口に自分で引いてくる。祭司の前で、いけにえの頭に手を置く。みずからほふり、祭司に祭壇で焼いてもらう。このようなプロセスに、厳密な手続きがあって、それらがわずかに間違っていても、神の怒りが燃え上がる文字通り「エリを正す」時間でした。

 アブラハムやイサクやヤコブ、モーセには、そのような手続きなしに、神様のほうから近づいてくださったこともあったのに、どうして、シナイ契約の後のアブラハム・イサク・ヤコブの神、「わたしはある」と自己紹介された神は、祭司にお会いになる場所さえ、聖所・至聖所に限定し、複雑な手続きを要求されたのでしょう。


 それは、イスラエルの民が、神と特別な関係に入ったからです。
 わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
 あなたは、わたしのほかに、神々があってはならない。
と、言われるような関係です。この契約はしばしば結婚にたとえられますが、神に選ばれてその花嫁になったのだから、ふさわしいものとならなければならないのです。

 救い出されたものの、自分を救い出してくださった方のことが、よくわからない民に、神はレビ記にある膨大な祭祀儀礼を通じ、また、神の民としてふさわしいおきてで、ご自分の姿をお知らせになったのです。つまり、罪ある人間、汚れた人間が神に近づくためには、罪を贖わなければならないこと、生き方や生活をおきてのとおり律して、自分を聖なる者としなければならないことを、お教えになったのです。
 罪ある者としての自覚、汚れた者である自覚をもつことが、なにより必要でした。


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 人が罪ある者だという自覚は、聖書を貫く原則です。レビ記の時代の人も、イエス様がこの世にお出でになった頃の、二千年前の人々も、現在も同じです。
 ところが、イエス・キリストが十字架に架かったあと、犠牲のささげ物(雄羊や雄牛、鳩など)を、祭司を通して祭壇にささげてもらう必要が、なくなったのです。

 
 それは、人の目には、‘とつぜん’、起こりました。ナザレのイエスという方がガリラヤ地方に現れ、祭司や宗教家などさえ、目を見張るような教えを宣べ伝え始めたのです。同時に、だれもまねのできない奇蹟やいやしの働きで、たちまち衆目を集めました。イエス様を預言者だと思う人。救い主(キリスト)かもしれない。はたまた、ローマ帝国からイスラエルを独立させてくれる新しい王かもしれないと期待する人などが、入り混じり、その人気は日ごとに高まっていきました。

 じつは、イエス様のいちばん近くにいた弟子たちでさえ、イエス様の本当の姿を知りませんでした。
 知っていた人がいるとしたら、ただ一人。それは、当時、ヨルダン川で多くのイスラエル人に洗礼を授けていた、バプテスマのヨハネでした。
 ヨハネのもとを訪れたイエス様を差して、彼は言いました。

 見よ。世の罪を取り除く神の子羊。(ヨハネの福音書1章29節)

 
 ☆☆☆☆

 キリストが福音を宣べ伝えた期間を、キリスト教では「イエス・キリストの公生涯」と言います。イエスが三十歳くらいからの約三年間あまりです。
 この期間、ユダヤ、ガリラヤ地方では、イエスを慕うもの、イエスに従う者がたくさん起こされたのです。それは、伝統的ユダヤ教の祭司や律法学者にねたみと危機感を起こさせるほどのものでした。
 
 ところが、イエスは、十二弟子の一人イスカリオテ・ユダの裏切りで売られ、エルサレムのゴルゴダの丘で十字架に架けられてしまうのです。残酷な十字架刑であっけなく殺されるイエスを見た弟子たちはみな、逃げてしまいました。最後まで十字架上のイエスを見守ったのは、マグダラのマリヤ、ヨセフとヤコブの母マリヤ、ゼベダイの子らの母を初めとする女の弟子たちでした。

 
 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。
「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
 もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。(新約聖書マタイの福音書27章39節〜42節)

 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。(27章50節51節)


 イエス様の死とともに、神殿の幕が上から下まで、真っ二つに裂けたのです。
 この幕とは、聖所と至聖所の間を仕切る幕でした。大祭司が年に一度だけしか入れない至聖所を仕切る幕がなくなったことは、ささげ物と祭司を仲介として罪を贖う古い契約の終わりを告げていたのです。
 新しい契約では、バプテスマのヨハネに「神の子羊」と言わしめたイエス様が、罪を贖ってくださるからです。



 
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2011年03月04日

Coffee Break191 あがない主(新約聖書へブル人への手紙9章11節12節)



 イエス・キリストは、十字架に架けられ殺されました。血を流し、叫びながら亡くなりました。
 むかし、十字架にかかったイエス様の絵を見た、お年寄りが言ったそうです。「キリスト教のご本尊は、血まみれでむごたらしい。それに比べて、仏さまは穏やかなお顔で見ているだけでありがたい」。
 もちろん、その方が勘違いされているのですが、このようなことを言う方は今でもいるかもしれませんから、クリスチャンとして、こんな感想を目の前で聞いたらきちんと説明しなければと思わされました。
 キリストが血を流している絵や像は、ほとんどカトリックのもので、プロテスタントの場合は十字架だけです。

 いずれにしても、クリスチャンにとって、十字架は拝む対象ではないのです。ただ、すでに、偶像(形のある物)を拝むことが信仰の姿だと思っている人が勘違いするのを、あながち笑うことはできません。
 水道の蛇口はひねるものだと思っていたら、ある時からタップを叩くだけで水が出るものが出現しました。次に、タップを上げるものが出現。さらに、蛇口の下に手を置くだけで、水が出るようになりました。それで、デパートやホテルの化粧室の蛇口で、一瞬迷うことがあります。偶像を拝むのが信仰の形だと思っている人は、聖画やイコン、十字架を見るとそれを拝むものだと勘違いしたとしても、仕方がありません。私たちの国では、そのような「勘違い」も想定した伝道が必要ではないでしょうか。


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 イエス様は、世の罪を取り除く神の子羊。(ヨハネの福音書1章29節)として、人の世においでになった神様です。これもクリスチャンの原則です。
 神の選びの民となったイスラエル人たちは、レビ記で定められた規定に従ってささげ物を、神さまにささげ続けてきました。取り次ぐのは祭司で、場所は幕屋のなかの聖所・至聖所でした。どれほど優れたささげ物も、祭司を通さず、幕屋に持ち込まれることがなければ無効どころか、神の怒りに触れました。

 幕屋や神殿がひとつしかなく、イスラエル中の人たちの神礼拝がたった一箇所、しかも、祭司を通さないと近づけないというのは、かなり非効率だったと思われます。その結果、人々は、神様に近づくのは容易なことではないことを覚えたのでしょう。神様はそれほど、遠い厳重な警戒の向こうにいらっしゃること(創世記3章24節)、自分たちの罪がどれほど大きなものかも実感したでしょう。
 
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 見よ。世の罪を取り除く神の子羊。(ヨハネの福音書1章29節)
 
 イエス様は犠牲の羊として、十字架の上で死んでくださいました。それを、人々が理解したのは、十字架刑のあと、もう少し先のことでしょう。

 ペンテコステの日に、聖霊が弟子たちの集まっている家に降り注ぎ、弟子たちを聖霊で満たしてイエスを宣べ伝える、勇気ある使徒に作り変えました。ペテロの語ることばに、たちまち、三千人・五千人の人が、イエス様を信じました。
 伝統的宗教者である祭司、律法学者たちから本格的な迫害が始まりました。ステパノの殉教などを経て、宣教は地方に、異邦人の国に広がって行きました。パウロのような力あるエリートが回心し、異邦人宣教を担いました。そのような宣教活動の中で、イエス様が救い主であり、犠牲の羊であり、大祭司であることが、明らかになって行きました。


 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造ったものでない、言い換えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、(新約聖書へブル人への手紙9章11節)
 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖(あがな)いを成し遂げられたのです。(12章)


 これは、新約時代のユダヤ人たちにとって、どれほど衝撃的なことだったでしょう。創世記の初めにすでに約束をされ、何度も聖書に預言のある救い主の、待ちに待った救いの日が訪れたのです。それも、全世界の人たちに及ぶのです。




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2011年03月05日

Coffee Break192 永遠のあがない(レビ記全体、新約聖書へブル人への手紙9章)




 人は自分の罪を贖うために、いったい何を差し出したら「間に合う」のでしょう。
 「自分のいのちを差し出して、お詫びをしたい」などと言うことばを、今でも聞くことがあります。取り返しのつかない大きな過ちをしたとき、お金を払っても、どんなに頭を下げても追いつかないとき、最後に支払えるのは自分自身だというのは、もちろん、間違った考え方だと、私は思います。けれども、これは、昔の武士の切腹などでは、一種の「責任の取り方」でした。
 人間の間での罪なら、シナイ契約も、かなりはっきり裁定をしています。

 目には目。歯には歯。手には手。足には足。(出エジプト記21章24節)

 これは、やられたらやり返せという法ではありません。人間はたいてい受けた被害以上の報復をしてしまうので、際限のない報復や復讐を禁じているのです。

 神様に対して大きな罪を犯しているかもしれない、神様を怒らせてしまったかもしれないといった恐怖は、どの文化においても祭礼や儀式、供え物となって現れました。
 激しい災害、飢饉などの雨乞いなど、神の怒りが大きいと思えるときには、人身御供もありました。
 レビ記に、わざわざ子どもをモレクにささげてはいけない(レビ記18章21節、20章2節〜4節)と戒めているのは、イスラエルの中にも、周辺の民と同様、そのような風習がまだ残っていたのかもしれません。

 しかし、仮に人間を一人ささげても、一人の命は一人の罪しか贖えません。それで、人よりは劣る動物を、それでも最上の物を選んで、ことあるごとに、毎年のようにささげ続けたのです。

 
☆☆☆☆

 レビ記を通じてイスラエルの民に告げられていたことを、Coffee Break189からもう一度、抜き出して見ましょう。

@ささげ物規程 全焼のささげ物、和解のささげ物、穀物のささげ物、罪のためのささげ物、償いのささげ物の詳細な規程です。(レビ記1章〜7章)
A祭司の任職をふくめた祭祀儀礼 (レビ記8章〜10章)
B聖(きよ)いものと汚(けが)れたもの (レビ記11章〜15章)
Cさまざまな律法、罪に当たる行為、規制と処罰(レビ記17章〜26章)

 民は祭司を通して、ささげ物をささげ、神礼拝を行いました。ささげ物は大切ですが、同時に、自分の身を聖(きよ)く保つよう戒められていました。汚れたモノを食べない。汚れに近づかない。身を汚す行為をしない。安息日や安息年や祭礼を守る──律法遵守。
 
 しかし、神であるイエス・キリストが十字架上で死んでくださったことで、これら、出エジプト直後に与えられたシナイ契約(旧い契約)が、新しい契約に取り替えられたのです。
 昨日のヘブル人への手紙を、もう一度引用しましょう。

 キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造ったものでない、言い換えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、(新約聖書へブル人への手紙9章11節)
 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(12章)



 新しい契約では、幕屋もささげ物も祭司も廃止されました。私たちは、そのことを信じる信仰だけで義(正しい)とされるのです。




 聖書は新改訳聖書を使っています。

 キリスト教について学びたい方は、このブログのリンク
 佐々木先生のサイト→ペンテコステ宣教学→やさしい神の国講座を
 ご覧下さい。キリスト教の教理や救いが、やさしくわかりやすく
 解説されているテキストです。すでに、クリスチャンである方にも
 おすすめです。
 





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2011年03月06日

Coffee Break193 イエス・キリストへの信仰(新約聖書ヘブル人への手紙9章10章)




 私たちは、罪ある自分をどんなに悔やんでも、自分をささげて贖うことはできません。対人関係ならば、そのような考えがいかにも正当であるかのように、思われる時もあります。目には目。歯には歯、手には手(出エジプト記21章24節)の前の23節に、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならないと記されています。しかし、神様への罪は大きすぎて、本来、代償になるものがないのです。
 神様から弟アベルを殺したことを咎められたカインは、一転、神様に泣きつきます。

「私のとがは、大きすぎて、にない切れません。」(創世記4章13節) 

 カインの物語は、弟殺しという例を挙げて、私たち人類の罪についても語っているのです。私たちは、自分の罪をじつは、にないきれないのです。
 そうして、さまざまなささげ物をささげるようになったのです。それは、偶像の神を拝んでいた人たちもそのようにしていたことでした。子どもをささげるなど、いくら人権感覚がない時代でも、やはりいちばん大切なモノをささげなければいけないとの思いがあったからではないでしょうか
 しかし、自分で作った偶像に、自分で計算の合うささげ物をささげて、神様がご機嫌を直してくださったなどと思えるような感覚は、そもそも、神を侮っているのです。

 アブラハム・イサク・ヤコブの神、「わたしはある」といわれる神は、ご自分がエジプトから救い出したイスラエルの民に、ご自分はそのように、人間の都合に合わせた神ではないと、教えられ、厳しい祭祀儀礼や律法をお与えになったのです。

 
☆☆☆☆

 レビ記で事細かに定められたささげ物規定や、律法は、だから、それで神の基準をまっとうするものではなく、限りなく神の真実な姿を知るためのしるべだったのではないでしょうか。
 もちろん、神ご自身そのことをご承知だったでしょう。

 ヘブル人への手紙9章12節への続きは、つぎのようになっています。
 
 もし、やぎと雄牛の血、または雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、(ヘブル人への手紙9章13節)
 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(14節)
 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、はじめの契約の時の死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。(15節)


 やぎや雄牛の血でも聖めの働きをするなら、まして、神であるキリストが(やはり神である)御霊によって神にささげたその血の効力はどれほどのものでしょうと、ヘブル人への手紙の著者(バルナバ、パウロ、アポロなどの名前が挙がっていますが、ほんとうのところはわからないようです)は、言うのです。
 キリストによって、はじめて、次善のささげ物では実現しなかった完全な罪の許しが完成し、神の御許への道が開かれたのです。それが、はじめの契約の死によって、永遠の資産の約束を受けると言う意味です。 

 また、すべての祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。(ベブル10章11節)
 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、(12節)
 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。(13節)
 キリストは聖なるものとされる人々を、ひとつのささげ物によって、永遠に全うされたのです。(14節)


 レビ記で示され、以後千五百年間続いた膨大な祭祀儀礼は、キリストがただ一度、十字架の上で血を流してくださることで、完了したのです。

 今、私たちは、動物の犠牲を持たず、祭司を通さず、幕屋を恐れず、いきなり神様のみ前に出ることができるのです。イエス様のお名前で祈りさえすれば、至聖所は私たちの目の前にあるのです。
 信じる信仰だけで救われるのは、シンプルですが、とても感動的な出来事です。
 


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2011年03月07日

Coffee Break194 民数記・人口調査(民数記1章1節〜16節)

 


 
 創世記、出エジプト記、レビ記の次、モーセ五書の四番目におかれたのが、民数記です。
 民数記の書き出しは、次の通りです。

 人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。(民数記1章1節)
 イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。(2節)


 奴隷だったイスラエルの民をエジプトから連れ出された神、主は、彼らに十戒にともなう契約をお与えになり、神権政治国家における神と民との永続的で強い絆のため、幕屋、祭司、祭祀儀礼、律法を定められました。
 幕屋が建ったのは、エジプトの国を出て二年目の第一の月の一日のことでした(出エジプト記40章17節)
 同時に、レビ記に書かれている祭祀と律法に関わる命令がありました。もう一度、整理しておきましょう。
●ささげ物規程 全焼のささげ物、和解のささげ物、穀物のささげ物、罪のためのささげ物、償いのささげ物の詳細な規程です。(レビ記1章〜7章)
●祭司の任職をふくめた祭祀儀礼 (レビ記8章〜10章)
●(きよ)いものと汚(けが)れたもの (レビ記11章〜15章)
●さまざまな律法、罪に当たる行為、規制と処罰(レビ記17章〜26章) 


 時系列を追うと、この一月後、上記の人口調査が命じられるのです。民数記というタイトルは、イスラエルの民の人口調査を神が命じられたことに由来しています。

 また部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。(民数記1章4節)
 あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。(5節)
 

 つづいて、ルベン、シメオン、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ(エフライム、マナセ)、ベニヤミン、ダン、アシェル、ガド、ナフタリの名前が挙がってきます。
 これらは、アブラハムの孫・ヤコブの息子たちの名です。イスラエルの十二部族と言われるのは、このヤコブの息子たちを父祖とする者のことです。ただし、ここにはレビの名前がありません。レビ族は祭司と幕屋での奉仕に関わるために、先に、神の命令で聖別(取り分けられること)されたからです。代わりに、ヨセフの二人の息子が部族を作ったので、結果的には十二部族となりました。
 

☆☆☆☆

 レビ記から民数記に入る前に、イスラエルの十二部族についておさらいをしておきましょう。

 イスラエル民族の始りはアブラハムです。アブラハムはイスラエル民族の始祖、または父祖と呼ばれます。アブラハムはノアの洪水で有名なノアの長男セムの直系の子孫です。ノアはアダムとエバの子孫です。
 
 メソポタミアのウルにいたアブラハムは、父テラや兄弟たちとハランという場所に移住して、住んでいました。その時、聖書の神(天地を創造された神)がアブラハムに声をお掛けになり、カナン方面に行くよう命じられました。これを、アブラハムの召命と言います。
 神はアブラハムを召し出されるに当たって、約束してくださいました。

 あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。(創世記12章1節)
 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。(2節)
 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(3節)


 この時、アブラハムは約束をいただいたものの、約束の地がどの場所か、大いなる国民になることがどういう意味か、まして、地上のすべての民族が、あなたによって祝福されるのがどのようなことか、知りえませんでした。彼は、ただ神の召しに従ったのです。

 曲折はありましたが、アブラハムは息子イサクを得て、イサクからヤコブが生まれ、ヤコブから十二人の息子が生まれるのです。このヤコブが、神から「イスラエル」と言う名前をいただき、以後、ヤコブの子孫がイスラエルと呼ばれます。
 ヤコブの十二人の息子のひとりヨセフがエジプトに売られ、そこで宰相(総理大臣)になりました。のちに、イスラエル一族が飢饉に苦しんでいるとき、ヨセフは父ヤコブと兄弟11人および、一族を迎え入れるのです。

 四百年後、エジプトにおけるイスラエルの一族は、数こそ男子だけで六十万といわれるほどに増えていましたが、身分は奴隷に堕ちていました。そこで、彼らが苦しんで、彼らの始祖の神、アブラハムの神、イサクの 神、ヤコブの神に助けを求めて叫び、神がそれにおこたえになって、民を解放させるためにモーセを召し出されたのです。 それが、出エジプトの始りでした。

☆☆☆☆


 ともあれ、出エジプトを果たして、シナイまでやってきました。いよいよ、民を整え、軍団を作る段階に入りました。そこで民を組織し、人口調査を行います。そのリーダーたちを、十二部族ごとに一人選んで、モーセとアロンの助手にすることになりました。

 カナンへの出発に向けて、準備が着々と進んでいました。




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2011年03月08日

Coffee Break195 私の言葉は滅びない(新約聖書マタイの福音書24章35節)

 




      風うなる 空見上げれば 宇宙あり




 Coffee Breakは、聖書を創世記から通読しながら、その日その日、示されたことをエッセイとして記しています。基本的に毎日聖書を読み、書いています。
 はじめは、遅々として進まない気がしました。果てしのない宇宙のチリに過ぎない自分が、神様のことを知ることなど、星を見てそれを追うに等しい、勇敢だけれども、無謀な旅です。


 夜道を何キロ歩いても、星をつかむことはできません。けれども、幾夜も旅を続けていると、だんだん星が身近になってくるのです。なぜ星があり、自分がいるのだろうと思います。
 星はそこにあって、それを見上げて旅を続けている者の視線が、地を見ていても、木立をみていても、海を見ていても、かわらず、真上にあるのです。変わらず存在するものがあると、語りかけてくるのです。



         この天地は滅び去ります。
 しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
        (マタイの福音書24章35節)
                  




 時間のスパンを限りなく広げれば、星も死ぬ日があるそうです。また、新しい星が生まれ、星も成長し、成熟し、老い、やがてチリになるそうです。
 すると、その星を見守っているものが、なにかあるのですね。なにかがある、と考えるほうがしぜんですね。
 夜道をただ歩いていて、そうか、あそこにあるのは星だけじゃないんだ!と気がつくと、まわりがパッと明るくなるのです。



Coffee Breakを始めてから、195回を迎えます。夜道を歩き始めてまだ、197日です。(二日間は体調を崩して、休んでしまいましたので)。
 昨日から、旧約聖書の四番目の書物・民数記に入りました。


 いつも訪問してくださってありがとうございます。
 お励まし、お教え、感想を感謝します。
 これからも、よろしくお願いします。


 さとうまさこ 




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2011年03月09日

Coffee Break196 人口調査(民数記1章、ルカの福音書2章)




 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。(ルカの福音書2章1節)
 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。(2節)
 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。(3節)
 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼はダビデの家系であり、血筋でもあったので、(4節)
 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。(5節)


 これは、イエス・キリストがお生まれになる頃、ローマ帝国の皇帝の命令で人口調査が行なわれた記録です。イスラエルは当時、ローマ帝国の植民地だったので、イスラエル人もそれぞれ出身地に戻って、登録しなければならなかったのです。
 身重のマリヤと夫ヨセフは、ガリラヤから故郷ベツレヘムに、戻ったのでした。しかし、彼らにはすでに、故郷に、親や親族の家がなかったのかもしれません。宿屋に泊まろうとしたのですが、国中の人たちが登録のために移動しているときであり、宿屋に部屋がありませんでした。
 マリヤが産気づき、ヨセフは「どんなところでもよいから、泊めて下さい」と願ったのでしょう。馬小屋ならということになりました。そこで、マリヤはイエスを産み,生まれたばかりのイエスさまは、飼い葉おけに寝かされるのです。

 クリスマスになると、語られるこの話は、クリスチャンはもちろんのこと、クリスチャンでなくてもご存知の方が多いでしょう。
 イエス・キリストの誕生は、ローマ帝国の人口調査とぶつかったので、飼い葉おけがベビーベッドになってしまったのです。


 ☆☆☆☆


 さて、モーセ五書四番目の民数記では、神がモーセに人口調査を命じておられます。
 はじめに、十二部族から、その家のかしらとなる者をモーセの助手として選び出します。 
 

      父祖の名   調査時の家の頭     

      ●ルベン    →エリツェル ・・・・・四万六千五百人
      ●シメオン   →シェルミエル・・・・・五万九千三百人
      ●ユダ      →ナフション ・・・・・七万四千六百人
      ●イッサカル  →ネタヌアル ・・・・・五万四千四百人
      ●ゼブルン   →エリアル  ・・・・・五万七千四百人
      ●エフライム  →エリシャマ ・・・・・  四万五百人
      ●マナセ    →ガムリエル ・・・・・三万二千二百人
      ●ベニヤミン  →アビダン  ・・・・・三万五千四百人
      ●ダン      →アヒエゼル ・・・・・六万二千七百人
      ●アシェル   →バグイエル ・・・・・四万一千五百人
      ●ガド      →エルアサフ ・・・・・四万五千六百五十人
      ●ナフタリ    →アヒラ   ・・・・・五万三千四百人

         総数 ・・・・・・・・・・・・・六十万三千五百五十人

 さて、モーセとアロンは、これら指名された者を伴い、(民数記1章17節)
 第二月の一日に全会衆を招集した。そこで、氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。(18節)

 イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられた二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。(20節)
 ルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。(21節)


 上記と同じ書き方で、残りの11部族の登録人口が書かれています。(上に書き込むことにします。)
 
 総数六十万三千五百五十人は、二十歳以上のイスラエル人で、男子。軍務につくことができるものとなっていますので、女性や子供、軍務につけない病人や老人は数えられていません。

 神権政治国家イスラエルは、神の守りと導きが国家の柱であり、また、領土であり、国境でした。幕屋や祭司といった国を束ねるシステムも出来上がりました。同時に、イスラエル以外の世界との関係では、衝突が予想され、軍制を整える必要がありました。 
 
 人口調査は、同じ民数記26章で、もう一度行なわれます。
 この二度の人口調査に、出エジプトからカナンへの旅路の、ある意味で悲劇的ともいえる物語が、織り込まれているのです。



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2011年03月10日

Coffee Break197 荒野への旅立ち(民数記10章1節〜13節)


 

 イスラエルの民が、シナイ山で神から十戒を授かるまで、旧約聖書はじつにドラマチックです。

 創世記は、神が天地を創造されるところから始まり、神と人との関係を、非常に大局的に、また要点だけを抑えたスピーディな説明で、アブラハムの召命までを記しています。その後、アブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたる神の愛に満ちた導きで、彼らのうちに、しだいに信仰が強化され、神との絆が強くなっていく様子が描かれます。
 三人がそれぞれ、人間としては弱いところがあるにもかかわらず、神は彼らを養い育て、彼らも神の導きと祝福で、大きな族長として成功していきます。三人を通して、アブラハムの神がイサクに、さらにヤコブへと継承され、イスラエル民族の父祖の神となるのです。

 四百年後、出エジプト記の時代に、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が、モーセを召して、エジプトから、イスラエルの子孫たちを連れ出されるその様子も、大変、劇的です。
 シナイ山まで、息もつかせぬ奇蹟に次ぐ奇蹟、緊張とサスペンスと葛藤がないまぜになった場面は、映画にするにはうってつけだったでしょう。映画「十戒」は、製作されて五十年以上になるのに、いまだに、観客を集めているのです。

 神がイスラエルの民に、シナイで十戒を授けられたことは、天地を創造された神が、イスラエルの民と契約をされたことでした。いよいよ、神が、「全人類を祝福に入れる器」となる民を通して、人類救済計画に着手される一歩が始まったのです。


 出エジプト記20章「十戒」の後半からは、戒めの細則、幕屋や祭司制度の整備、犠牲のささげ物のささげ方などが、大変細かく記され、またページ数も多いのです。また、出エジプト記の後半から、レビ記全体、民数記の10章までは、おきてや祭司儀礼の記述が重なっている部分があります。ここが、聖書通読を頓挫させる第一関門かもしれません。


☆☆☆☆

 民数記は、シナイの荒野を出発し、荒野を旅し、カナンの手前のモアブにたどり着くまでの四十年間が書かれています。
 今日は、いよいよ、イスラエルの民が宿営地を動いて、カナンに向かう場面を見ましょう。

 ついで主はモーセに告げて仰せられた。(民数記10章1節)
「銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を招集し、また、宿営を出発させなければならない。(2節)
 このふたつが長く吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。(3節)
 もし、その一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。(4節)
 また、あなたがたがそれを短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。(5節)
 あなたがたが二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するには、短く吹き鳴らさなければならない。(6節)
 集会を召集するときには、長く吹き鳴らさなければならない。短く吹き鳴らしてはならない。(7節)
 


 集団を統率するのは、大変な仕事です。軍隊や学校、会社の行事などは、すでに人を動かすマニュアルが出来上がっているでしょう。まったく組織的でないように見える野球やサッカーの応援、祭りなどの人の流れの管理、不時の事故や地震などの時用にも人の動きを制御するマニュアルがあるようです。
 パソコンはもちろん、マイクもカメラもケイタイも無線もない時代──私たちが、映画などで見る集団移動の合図は、笛、ラッパ、ほら貝、のぼりや旗、のろしや火、矢などを使ったのです。
 民数記では、神ご自身が、ラッパを作って民を統率するように仰せになったのです。

 第二年目の二月の二十日、イスラエル人はいよいよシナイの荒野を出て、旅立つことになりました。雲があかしの幕屋の上から離れていったからです。
 幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおったのですが、それは夕方には火のようなものになり、朝まであった(9章15節)のです。出エジプトのときは、雲の柱、火の柱がイスラエルの民の先頭にたち、民を率いてくださったのですが、幕屋が完成したとき、この雲と火が幕屋を守ってくださったのです。

 彼らは、モーセを通して示された主のご命令によって初めて旅立ち、(10章13節)
 まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。(14節)


 こうして、イスラエルの軍団は、命じられた順序で、旅立ちました。
 シナイに着いたのが一年目の第三月の新月の日でしたから、十一ヶ月目の出発でした。




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