2011年04月06日

Coffee Break223 アロンの死(民数記20章22節〜29節、ヘブル人への手紙7章23節〜25節)




 聖書には、ここまで、たくさんの死が記されています。アダムからノアに至るまでの十代十人は、みな並外れた長寿をまっとうしました。
「ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。」(創世記9章29節)と記されています。
 この時代、異色なのは、もちろん、アダムとエバの息子カインによる弟殺しの犠牲になったアベルの死です。(創世記4章8節)
「神に取られた」と記されているエノクの最後は、特筆すべきものです。それは、不慮の事故ではなく、神とともに歩んだ(創世記5章24節)エノクへの、神の恩寵でした。

 族長時代になると、アブラハム、イサク、ヤコブ、サラ、ラケル、レアなどの死と埋葬の記事があります。残された者たちに、きちんと埋葬してもらい、喪の期間を覚えられた彼らの死は、人間的で共感できるものです。

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 出エジプト記、レビ記、民数記と続く一連の「荒野の物語」のなかでは、死はまた、違った角度から書かれています。

 イスラエルの民が神と契約を結び、カナンに入るまでのプロセスは、長い間奴隷であったイスラエルの民の、神の訓練の場でもあったのです。
 
 荒野での四十年の間、もちろんおびただしい人が死に、また生まれたことでしょう。けれども、聖書に記されている死は、神の民の訓練の過程の出来事として意味のあるものばかりです。
 たとえば、アロンの二人の息子が、幕屋で火を捧げていたときに死んだこと。(レビ記10章1節2節) 神の名を冒涜した者が、律法違反で石打にあったこと。(レビ記24章10節〜23節) やはり、安息日にたきぎを集めていたものが、律法違反で石打にあったこと。
 モーセやアロンの権威に反抗したコラやレビ人たちが、割れた地面に落ちて死んだり、神から火が出て焼け死んだりもしました。(民数記16章)

 他方、荒野の旅で、大きな役割を果たしたと思われる女預言者ミリヤムの死は、20章1節の中でも、その最後の一行です。彼女が埋葬されたのか、民がその死を泣き悲しんだのかも書かれていません。


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 主はエドムの国の領土であるホル山で、モーセとアロンに告げて仰せられた。(23節)

「あなたはアロンとエルアザルを連れてホル山に上れ。(25節)
 アロンにその衣服を脱がせ、これをその子エルアザルに着せよ。アロンは先祖の民に加えられ、そこで死ぬ。」

 モーセは、主が命じられたとおりに行なった。全会衆の見ている前で、彼らはホル山に登って行った。(27節)
 モーセはアロンにその衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せた。そしてアロンはその山の頂で死んだ。モーセとエルアザルが山から降りてきたとき、(28節)
 全会衆はアロンが息絶えたのを知った。そのためイスラエルの全家は三十日の間、アロンのために泣き悲しんだ。(29節)


 この記事で大切なのは、アロンの(祭司の)装束をエルアザルに着せたことでしょう。幕屋と祭祀によって民を束ね、国を運営する神政政治国家では、祭司は大変重要な任務です。とくに、至聖所に入ることができる大祭司の不在は、致命的な状態です。

 神様はアロンの死が近づいた時、祭司が間違いなくアロンの家系の者に継承されるよう、このような命令を出され、じっさいに引継ぎを行なって民に示されたのです。
 これは、人間の祭司の限界でした。けれども、それから千五百年ほど後に、神ご自身が人となってこられて大祭司となられるまで、このような人から人へ、祭司職の引継ぎが行なわれました。


 ヘブル人への手紙の著者は、(神である)イエス様が永遠の大祭司となって来られた喜びを、次のように記しています。

 また、彼ら(人間の祭司)の場合は、死と言うことがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。(ヘブル7章23節)
 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。(24節)
 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(25節)




  聖書は新改訳聖書を使わせていただいています。





posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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