2011年04月13日

Coffee Break230 バラムの託宣(民数記23章13節〜30節)


 

 バラクがバラムを招いた理由は、イスラエルをのろってもらうためでした。モアブの近隣諸国との戦争に勝って、なだれのようにモアブにも入り込んできたイスラエルの民は、バラクに取って脅威でした。一戦を交えて勝てばいいですが、負ければエモリやパシャンの二の舞になります。
 霊能者バラムがどれほど有名で、謝礼が高くても、のろってもらって決着が着くなら、その方が良いのです。

「私はあなたが祝福するものは祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」(民数記22章6節)とバラクが言うのです。
 バラムの霊能者としての名声は、かなりのものだったのでしょう。

 ☆☆☆☆


 これは、私の推測ですが、ふつうバラムのようなフリーの霊能者は、祝福やのろいをクライアントの求めに応じて、祈ったのでしょう。
 それに対して、エジプトの魔術師や占星術師は、雇い主パロのために仕事をしました。他にも特定の王様や国に雇われているものが、たくさんいたに違いありません。

 バラムのような霊能者は、クライアントの都合の良い託宣をするから人気があったのでしょう。
 バラクに招かれたかぎり、バラムはイスラエルをのろい、モアブを祝福しなければならないことはわかっていました。そんなことは、バラムにとって簡単なことだったはずです。

 ところが、イスラエルへののろいは、これまでのようには行きませんでした。イスラエルの神が、バラムに働きかけて、彼の思いもよらない託宣を言わせるのです。


 バラクはバラムをべつの場所に連れて行って、イスラエルの民を見せます。そこからもう一度、のろってもらおうとするのです。

 ところが、この第二の地点でのバラムの託宣は、次のとおりでした。

 立て、バラクよ。そして聞け。
 ツィボルの子よ。私に耳を傾けよ。
 神は人間ではなく、偽りを言うことがない。
 人の子ではなく、悔いることがない。
 神は言われたことを、なさらないだろうか。
 約束されたことを成し遂げられないだろうか。
 見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。
 神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。
 ヤコブの中に不法を見出さず、
 イスラエルの中にわざわいを見ない。
 彼らの神、主は彼らとともにおり、
 王をたたえる声が彼らのなかにある。
 彼らをエジプトから連れ出した神は、
 彼らにとって野牛の角のようだ。
 まことに、ヤコブのうちにまじないはなく
 イスラエルのうちに占いはない。
 神のなされることは、
 時に応じてヤコブに告げられ、
 イスラエルに告げられる。
 見よ。この民は雌獅子のように起き、
 雄獅子のように立ち上がり、
 獲物を食らい、
 殺したものの血を飲むまで休まない。(民数記23章18節〜24節)


 バラクはバラムに言った。「彼らをのろうことも、祝福することもしないで下さい。」(25節)

 バラクの悲鳴が聞こえてくるようです。
 当のバラム自身も、どうにもなりません。

「私は主が告げられたことを、みな、しなければならない、とあなたに言ったではありませんか。」(26節)

 バラクはあきらめません。

「さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら、神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らをのろうことができるかもしれません。」(27節)
 バラクはバラムを荒地を見おろすベオルの頂上に連れて行った。(28節)
(ベオルという山の所在場所は、現在では不明のようです。ただ、そこからなら、宿営しているイスラエルの民が良く見えたと考えられます。モアブの北、ネボ山との解説もあります。)

 イスラエルの民の全貌が良く見えれば、バラクにとってそれがどれほどの脅威かわかる、とバラクは思ったのでしょう。
 バラムはもちろん、クライアントの気持ちはよくわかりました。それで言いました。

「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊をここに用意してください。」(29節)
 バラクはバラムの言ったとおりにして、祭壇ごとに、雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。(30節)



 いよいよ三度目の託宣です。





posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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