2011年04月14日

Coffee Break231 託宣と預言(民数記24章)




 バラムはイスラエルを祝福することが主の御心にかなうのを見、これまでのように、まじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。(民数記24章1節)
 バラムが顔を上げて、イスラエルがその部族ごとに宿っているのをながめたとき、神の霊が彼の上に臨んだ。(2節)


 バラムはさすがに霊能者です。自分にイスラエルの神が働いて、二度までもクライアントの求めと違う託宣が口から出てくるのが、どういうことなのか悟ったのです。
 彼は、自分の都合の良い祈りをやめて、山の上から、主に守られているイスラエルの民の宿営地に視線をのばしました。その時、いよいよ強く神の霊がバラムに臨んだのです。

☆☆☆☆


 ベオルの子バラムの告げたことば。
 目のひらけた者の告げたことば。
 神の御告げを聞くもの。
 全能者の幻を見る者。
 ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の
 告げたことば。
 なんと美しいことよ。
 ヤコブよ、あなたの天幕は。
 イスラエルよ。あなたの住まいは。それは延び広がる谷間のように、
 川辺の園のように、
 主が植えたアロエのように、
 水辺の杉の木のように。
 その手おけからは水があふれ、
 その種は豊かな水に潤う。
 その王はアガクよりも高くなり、
 その王国はあがめられる。
 彼をエジプトから連れ出した神は、
 彼にとって野牛の角のようだ。
 彼はおのれの敵の国々を食いつくし、
 彼らの骨を砕き、彼らの矢を粉々にする。
 雄獅子のように、また雌獅子のように、
 彼はうずくまり、身を横たえる。
 だれがこれを起こすことができよう。
 あなたを祝福するものは祝福され、
 あなたをのろう者はのろわれる。(民数記24章3節〜9節)



 このまま細かい注釈なしで読んで、バラムがイスラエルを手放しで祝福しているのがわかります。 最後の2行は、アブラハムが始めて主の召しを受けた時、主が仰せになった約束のことばと同じです。(創世記12章3節)
 異教の王(領主)であるバラクも、このような祝福の言葉の意味がわからないはずは、なかったのでしょう。

 バラクは、三度まで、イスラエルを祝福したバラムに怒りを燃やします。

「今、あなたは自分のところに下がれ。私はあなたを手厚くもてなすつもりでいたが、主がもうそのもてなしを拒まれたのだ。」(11節)

 しかし、バラムも高名な霊能者としてのプライドがありました。


「私はあなたがよこされた使者たちにこう言ったではありませんか。(12節)
『たとい、バラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、主のことばにそむいては、善でも悪でも、私の心のままにすることはできません。主が告げられること、それを私は告げなければなりません。』
今、私は私の民のところに帰ります。さあ。私は、この民が後の日にあなたの民に行なおうとしていることをあなたのために申し上げましょう。」(13節)


 バラムは、続けて、託宣をのべるのですが、それはもはや、祝福を越えて預言でした。
 祝福されたイスラエルが地に増え広がり、ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つものの脳天を打ち砕く──(15節〜24節)と言うのです。


 バラムは帰って行きました。バラクもまた、帰途についたのです。二人は袂(たもと)を分かったのです。
 モアブはこうして、戦闘を諦めたかのように見えました。




 
posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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