2011年04月15日

Coffee Break232 バアル・ペオル(民数記25章1節〜8節)


 

 モアブとは、戦闘を交えないですみそうでした。
 戦わずして立場が守れるなら、それが最善にちがいありません。イスラエルはエモリの地ヤゼルの近くに、そのままとどまっていました。

 しかし、イスラエルを潰そうとする誘惑は、さまざまな方法で近づいてきます。民はモアブの地に住んでいたのです。その結果、その土地の女たちと仲良くなるものが出てきました。
 ただ、商売や交易で付き合うのではありません。男と女が出会うと、もっと深いところまで立ち入ってきます。

 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。(民数記25章1節)
 娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。(2節)


 モアブの女と寝た男たちは、女に誘われるままモアブの神バアル・ペオルを拝んだのです。これは、十戒の一番目の戒め「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
二番目の戒め「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」に対する重大な違反でした。

 「異教徒との結婚」(Coffee Break204)の箇所で、私は、シナイ契約の前には、イスラエル人と異教徒との結婚もあったこと、それも無名の庶民ではなく、モーセやヨセフやヤコブ、イサクでさえ、相手は同じ神を拝んでいた女ではなかったと書きました。
 シナイ契約までのアブラハム・イサク・ヤコブの神は、異教徒との結婚に、案外寛大であったと、言えるのです。


 こうしてイスラエルは、バアル・ベオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。(3節)
 主はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕らえて、白日のもとに彼らを主の前でさらし者にせよ。主の燃える怒りはイスラエルから離れ去ろう。」(4節)
 そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに言った。「あなたがたは、おのおの自分の配下のバアル・ベオルを慕った者たちを殺せ。」(5節)


 モーセとイスラエル人の全会衆は、主のことばを聞いて泣きました。犯した罪の大きさを悔い改め泣いていたのでしょう。

 その時、ひとりのイスラエル人が、その兄弟たちのところにひとりのミディアン人の女を連れてやってきた。(6節)
 祭司アロンの子エリアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取り、(7節)
 そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人とその女とをふたりとも、腹を刺し通して殺した。するとイスラエル人への神罰が止んだ。(8節)
 この神罰で死んだものは、二万四千人であった。(9節)

  
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 何度も書きましたが、イスラエルは、神によって成り立っている神政政治国家です。当時の国は、どの国もその中心に、彼らの神がいたでしょうが、イスラエルはとりわけ強い絆で、神・主と結ばれています。神は、イスラエルの民の始祖アブラハム・イサク・ヤコブを愛と慈しみをもって育成されただけでなく、エジプトで奴隷となっていた彼らの子孫を、多大のふしぎと奇蹟で救い出し、導き、守り、モアブの地まで連れて来てくださったのです。
 さらに、カナンを与えてくださると約束してくださっているのです。
 神とイスラエルの民との間で結ばれたシナイ契約は、結婚の契約にたとえられるほど強いものでした。神は夫、イスラエルの民は妻でした。

 偶像礼拝は、たんなる外形的な儀式ではありません。他の神を拝むと言うのは、イスラエルの神以外の神との霊的な交わりを意味します。妻(夫)が他の男性(女性)と交われば、夫婦の信頼は損なわれ、家庭は崩壊します。同様に、神によって成り立っている国・イスラエルの民が、ほかの神と交われば、イスラエル国家そのものが崩壊してしまうのです。
 聖書がうらないや口寄せを禁じているのも、同じ理由からです。うらないや口寄せ、霊媒は、天地を創造されたイスラエルの神以外の霊との交わりなのです。


 彼らは、姦淫を犯すことが、自分たちの神さまをどれほど悲しませるか、どれほど神の怒りに触れることか、気がつかなかったのでしょうか。






 
 
posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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