2011年04月25日

Coffee Break240 復活・ともにいてくださる主(マタイの福音書28章)




 さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。(マタイの福音書28章1節)
 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りてきて、石をわきへころがして、その上にすわったからである。(2節)
 その顔はいなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。(3節)


 福音書のクライマックス、イエス・キリストの復活は、また劇的な場面から始まります。
 十字架刑の三日後、女たちがイエス様の墓に行ったのです。目的はご遺体に香油を塗ることでした。ユダヤの風習は、火葬や土葬ではありません。洞穴の壁を棚にうがった場所に遺体を置いておくのです。日本などより乾燥した気候であっても、三日目には臭いがするので、香油を塗ったのでしょう。

 
 三日後のイエス様の復活については、四つの福音書すべてが記録しています。記者によって多少の記述の違いはありますが、共通しているのは、主のみつかいによって、墓の入り口の石が転がされて墓が開いたこと。みつかいは女たちに話しかけたこと。番をしていたローマ兵が仰天して逃げたことです。

 じつは、石のふたは大変大きなもので重く、溝の上を転がして穴をふさぐようになっていました。これは女たちだけでは動かないうえ、内側からは転がせないようになっていました。
 
 顔はいなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった「みつかい」を見た番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった、とあります。


 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエス様を捜しているのを、私は知っています。(5節)
 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。(6節)
 急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」(7節)
 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。(8節)
 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。(9節)
 イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」(10節)


 女たちはどれほど喜んで、この伝言を伝えに弟子たちの元へ走ったことでしょう。
 
 ☆☆☆☆


 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こったことを全部、祭司長たちに報告した。(11節)
 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、(12節)
 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやってきて、イエスを盗んで行った』と言うのだ。(13節)
 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたに心配をかけないようにするから。」(14節)
 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話は広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。(15節)
 

 
 イエス・キリストの復活は、イエス様の弟子たち以上に、イエス様を十字架に架けたユダヤ教の祭司や長老たちにとって、青天の霹靂でした。
 彼らは、イエス様を十字架に架けるときから、後ろめたさや恐怖はあったでしょう。イエス様が無実であることは、彼らにもわかっていました。民衆の間に、絶大な人気をあったのも承知していました。キリスト(救い主)であるとか、まして、神の子であるなどとは認めたくなかったでしょうが、イエス様が、下は罪人と言われるような下層の人間から、上は、国会議員や金持や祭司階級の人々の間にも、信頼と人気があるのはわかっていました。

 イエス様が復活したとなると、民衆が暴動を起こし、彼らユダヤのエリートたちの立場が揺らぐ可能性がありました。
 それで、彼らは、番兵たちに多額の金を与えて、弟子たちが死体を盗んだと言うよう、懐柔したのです。


 いっぽう、弟子たちは、復活のイエス様に会ったとき、ひざまずいて礼拝しました。それでも、弟子たちも、信じきれなかったのです。
 
 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(18節)
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、(19節)
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(20節)



 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」は、私たちクリスチャンの希望です。まさに、主イエスは復活されて、今も私とともにいて下さるので、私は、こんなに平安なのです。





posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。