2011年04月29日

Coffee Break244 ヨシュアの立場(民数記27章18節〜23節)




 指導者を選出すると言うのは、どのような社会でも、どのような時代でも、一大事件です。人間は群れを成すものであり、その集団は指導者なしには成り立たないからです。
 だれが指導者かによって、国や国民の命運が決まることは珍しくなかったでしょう。
 
 これは現代を生きる私たちにとっても、古代社会の人たちにも適用されることです。聖書の出エジプト記を見るなら、出エジプトの成功は、リーダーがモーセだったことに尽きます。正確に言うと、神が召されたモーセだったことです。

 モーセは手を挙げて、イスラエルの民六十万人のリーダーとして立候補したのではありません。彼が弁舌が巧みで、武術や腕力があり、また私設の軍隊や、取り巻きの部下をもっていたのでもありません。
 彼は生まれた場所・エジプトから逃亡して、異邦の民の中に隠れ住んでいました。若くもなく、内気で口下手な羊飼いでした。若いときには同胞のイスラエル人のために罪を犯すだけの正義感がありましたが、もはや、その民のために、故郷エジプトに戻って、大きな働きをしたいといった野心ももっていませんでした。

 そのような寡黙で素朴な羊飼いの男に、アブラハム・イサク・ヤコブの神・主が、声をお掛けになり、彼を召し出されたのです。
 神は、ご自分の召し出したモーセに最大のサポートを約束され、じっさいあらゆる神のみわざを現して、イスラエルの民を救い出されたのです。
 問題が起こるとモーセに叫ぶ民は、モーセでなければありえなかった神のサポートを目にしても、しばしばモーセに逆らい、モーセを怒らせ、悩ませました。それでも、民のモーセへの信頼は、絶大なものだったでしょう。でなければ、四十年の間に、イスラエルは砂漠の中で消え去っていたでしょう。

 そのモーセにも「解任のとき」が来たのです。

 
 あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。(民数記27章20節)
 彼は祭司エリアザルの前に立ち、エリアザルは彼のために主の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エリアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、入らなければならない。(21節)
 モーセは主が命じられたとおりに行なった。ヨシュアを取って、彼をエリアザルと全会衆の前に立たせ、(22節)
 自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。(23節)

 
 この場面は、モーセが召命を受けた時とはまるで違っています。モーセはホレブの山で神に呼ばれて、神の声を聞いたのです。彼が召しを受けた場面をだれも見ていないことを、モーセ自身も心配しました。(出エジプト記4章1節)


 カナン入りを目前にして、神はヨシュアのリーダーとしての立場が、民の見える形で、叙任されました。
 モーセが神の声を聞いて選んだヨシュアでしたが、もう一度大祭司エリアザルにウリムで占わせました。つまり、ヨシュアの認証には、ふたりの証人がいたのです。しかも、リーダーのヨシュアの上に立つ権威として、大祭司エリアザルを置かれたのです。これは、イスラエルが神政政治国家なのだから、当然のことなのです。
 
 ヨシュアは軍の指揮官でしたが、自分の手にある軍隊でさえも、大祭司の許可なく動かしてはいけないのです。

☆☆☆☆

 このイスラエルの神政政治制度が崩れたのは、民が王制を求めるようになった時です。(Tサムエル記8章6節)
 ヨシュアの時代から、四百五十年ほど後、イスラエルの民は預言者サムエルに自分たちの王を求め、サムエルは第一代目の王サウル、二代目の王ダビデに油をそそぎました。

 ヨシュアは、いよいよカナンに入るという大事な時期に、神から大きな役目を任されたのですが、後の王のように、「油をそそがれた」リーダーではありませんでした。






 
posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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